雑談散歩

    山スキーやハイキング、読書や江戸俳諧、山野草や散歩、その他雑多なことなど。

冬ごもり春の大野を焼く人は焼き足らねかも吾が情熾く

野焼き。

花鳥風月は楽しめない。
妹とか背子とか、恋の歌は得意ではない。

仏教も儒教も知らず。
漢詩の素養もない。
宮廷歌人のように博識でもない。

役人は、仕事のついでに歌枕の地に遊ぶという。
吾は旅に出たことがない。

春の野焼きの風情を、貴族たちはよく歌に詠む。
吾は、枯草を焼き、虫の卵を焼き、焦げた匂いを浴びながら肥沃な土と豊かな収穫を夢見る。

野焼きは、朽ちたものを焼いて、若々しい新芽を生じさせる。
草の葉が朽ちるように言葉も朽ちるとしたら、ついでに、荒れ放題の言葉の残骸も焼いてやろう。
虫食いだらけの言葉を焼いて蘇らせよう。

こういう空想ならいくらでもできる。
想念は何事にも縛られない。
教養や学識のはるか彼方に浮かぶものなので、それらから自由だ。

歌を定まった文字数で作るのは、語り過ぎると言葉が朽ちるためかも。
これも、吾の空想のひとつ。

すっきりした三十一文字の世界に、朽ちていく日常はないはず。
そう思って、土地を耕すように、歌作りに励んできた。

ないものだらけの吾にあるのは、三十一文字で言葉を蘇らせようとする情念。

この大野で吾の情念が、焼き足らない言葉に燃え続けている。


冬ごもり春の大野を焼く人は焼き足らねかも吾が情熾く
ふゆごもり はるのおおぬを やくひとは やきたらねかも わがこころやく

作者不詳(万葉集・巻七・一千三百三十六)

■参考文献
斎藤茂吉著「万葉秀歌(上)」 岩波新書

この文章は歌の意味や解釈を記したものではありません。ブログ管理人が、この歌から感じた、極めて個人的なイメージを書いただけのものです。

Next Post Previous Post

広告