春されば樹の木の暗れの夕月夜おぼつかなしも山陰にして
森のなかのおぼろげな月夜。 |
険しい峡谷をよじ登る。
幾日もかけて、沢岸の岩場を進んだり、滝の岩壁を越えたり。
行く手は険しいが、険しければ険しいほど、敵の追撃の手が届きにくくなる。
山育ちゆえ、山歩きには慣れている。
山の地形に対する勘も働く。
だが、ここまで来ることができたのは、殺されたくないという一念があったからだ。
敵の手にかかってなぶり殺しにされるぐらいなら、山中で死んだほうがましである。
死ぬ気でここまでやってきたのだ。
兵糧が尽きかけた頃、幸運にも谷の傾斜が緩くなった。
歩きやすい滑滝が続き、それを過ぎると目の前がだんだん開けてきた。
沢岸が、岩場から森に変わった。
谷の両側に高い尾根がそびえている。
両尾根の間には豊かな森が広がっていた。
登って来た谷の沢に、小さな枝沢が交差していた。
その枝沢には、ところどころに深い淵があって、魚が泳いでいる。
「しめた」と思った。
さらに沢沿いを歩くと、大きなサワグルミの木の近くに苫葺きの小屋があった。
やはり、人が暮らすことのできる土地だった。
今は無人だが、かつてこの小屋にはマタギが暮らしていたに違いない。
弓矢、鉈、斧などが、湿気を避けた棚の上に並べられ、錆びないように獣の油が塗られてある。
近づくと、その油にたかっていた羽虫が一斉に飛び立った。
土器(かわらけ)の類も、小屋の隅にきちんと片づけられてあった。
ここに住んでいた男は、すぐに戻って来るつもりだったのだろう。
ところが、獲物の肉や毛皮を背負って里に下りたら、政変を知り、村の男たちともども戦に向かったに違いない。
あの戦では、大勢の兵士が討ち死にをした。
吾が一族に加勢してくれた農民や猟師たちもどうなったことやら。
姻戚関係の者たちは、皆殺しにされたことだろう。
王権をかけた戦いだった。
王権を手にした一族が、吾々をこの国の歴史から抹殺しようと殺戮を繰り返した。
逃げ延びた吾は、ここに住みついて、滅びた一族の霊を祭らねばならない。
尾根の斜面の下には湿原があった。
植物が生えておらず、じめじめした泥土が広がっている。
湿原の中ほどに水の湧いている場所があった。
その水を口にすると、かすかに塩辛い味がした。
きっとマタギの男も、この塩気を含んだ湧き水から塩を作っていたのだろう。
塩があれば、魚や獣の肉の干物を作ることができる。
雪がちらつくころには、ひと冬分の食料を確保することができた。
冬の晴れた夜には、月が照った。
葉の落ちた森の木々の影が、積もった雪の上に青い。
小屋は、深い雪の中に埋もれている。
冬は、雪の中に隠れることができる安堵の季節である。
春になると、森の木々は葉で覆われ、小屋も緑のなかに隠れた。
森の中は昼間でも暗く、谷間なので夕暮れが早い。
だいぶ暮れてから上る春の月は、木の葉に遮られ、ぼんやりと照って、山陰の闇をいっそう濃くしている。
春や夏は、緑の中に隠れることができる安堵の季節。
そして短い秋は、枯れ葉に埋まり。
生きながらえている吾は、歳月と森の中に埋もれて安堵を繰り返し、春の夕月夜のようにおぼつかなくなった。
それが、身を置いている森の営みでもあるかのように。
春されば樹の木の暗れの夕月夜おぼつかなしも山陰にしてはるされば きのこのくれの ゆうづくよ おぼつかなしも やまかげにして
作者不詳(万葉集・巻十・一千八百七十五)
ここは、戦には無縁の場所なのだ。
森は吾を生かしてくれるが、一族の霊にはなんのゆかりもない。
ここでこのまま、ぼんやりと朽ち果てるわけにはいくまい。
吾は山を下りることにした。
ゆるい傾斜を選んで尾根に登り、稜線を下って、麓の村にたどり着いた。
村はずれにある古いお寺の門をくぐった。
柔和な和尚様が手を合わせて、吾をあたたかく迎えてくれた。
森のような和尚だった。
■参考文献
斎藤茂吉著「万葉秀歌(下)」 岩波新書
この文章は歌の意味や解釈を記したものではありません。ブログ管理人が、この歌から感じた、極めて個人的なイメージを書いただけのものです。