内田百閒の短篇小説「山東京伝」を読んだ感想
山東京伝による小説「小紋訝話」の表紙。 |
小説の題名になっている「山東京伝(さんとう きょうでん)」は、ウィキペデアによると、江戸時代後期に活躍した浮世絵師であり、洒落本や滑稽本で人気のあった戯作者だった人物とのこと。
商売にも長けていて、煙草入れなどの袋物や煙管・丸薬類を自身が経営する小物販売店「京屋」にて販売していた。
山東京伝がデザインした紙製煙草入れが、当時大流行したという。
当ブログ管理人は、若い頃に読んだ「戯作者銘々伝(井上ひさし著)」で「山東京伝」の名は知っていた。
あらためて読んでみると、「戯作者銘々伝」の「山東京伝」には、後妻であるお百合の独白文が描かれているだけで、山東京伝の人柄を示す描写は見当たらなかった。
京伝亡き後、お百合が経営を引き継いだ「京屋」を、実弟の山東京山(さんとう きょうざん)に乗っ取られてしまったことへの、お百合の恨みが描かれているだけだった。
内田百閒の小説「山東京伝」には京伝の人柄の一端が、「私(書生)」の目を通して描かれている。
小説は、以下の文章で始まっている。
私は山東京伝の書生に這入った。役目は玄関番である。私は、世の中に、妻子も、親も、兄弟もなく、一人ぼっちでいた様である。私は山東京伝だけを頼りにし、また崇拝して書生になった。書生には、部屋が与えられていない。
玄関の障子の陰に机を置いて、机の上で丸薬を揉んで過ごす日々だった。
書生は、ただ、山東京伝の傍に居られるのがうれしかった。
食事の時間になって、書生が膳についても、山東京伝は何も言わず、知らん顔をして自分だけ食べている。
書生に対して、食えとも言わない。
そんな先生の態度に、書生は、ますます師を畏敬する心を募らせる。
先生が席をたったのを機会に、書生は急いで食事を済ませ、また丸薬を揉む仕事にもどる。
その後のエピソードが面白い。
この小説で、ブログ管理人がもっとも好きなシーンである。
内田百閒は、このシーンを活き活きと描いているから読みごたえがある。
そして多くの読者が、この小説の最大の謎であると評しているシーンでもある。
これは、非常に面白い文章なので、読者に直に読んでもらいたく、引用はやめる。
以下に簡単なあらすじを記す。
書生は、「小さな人」が訪ねて来たと師匠を呼びに行く。
「何ッ」と山東京伝が驚いて駆け出し、玄関に出たら、その小さな人は、黒い山蟻だった。
「こんな人間がどこにある」と師匠に怒鳴られて、書生は、はじめて山蟻に気づくのだった。
山東京伝は、書生を役立たずだとして屋敷から追い出してしまう。
道の真中で、書生は泣きながら、あの黒蟻は丸薬を盗みにきたのではないかと考える。
だから師匠は、あんなにうろたえて怒ったのだろうと推察する。
しかし、山東京伝が、どうしてこんなに丸薬を気にするのかと首を傾げる。
ここで、小説は終わる。
小説を読み終えて、普段は寡黙で落ち着いているらしい山東京伝の慌てぶりがおかしくて笑ってしまった。
戯作者としては、書生の発言に大笑いすべきところ、山蟻の事に対して真剣に怒る山東京伝の姿は、滑稽本の登場人物のように思える。
山東京伝は、この書生の「異能」ぶりに気がつかなかったのだ。
ここでブログ管理人が言う「異能」とは、空想の世界に遊ぶことができる資質のことである。
キョロキョロしながら式台に手をついて玄関に上がって来る山蟻を、この書生は、無意識のうちに「小さな人」として思い描いたのである。
師匠としては、この想像力に驚くべきだった。
この想像力は、作者である内田百閒に内在する特異な想像力でもあるのだろう。
暗闇で、犬を人の子どもと見間違うことはありそうである。
また、山蟻を何かの虫と勘違いすることもありそうである。
書生の場合、そんな平凡な勘違いではない。
彼は、山蟻の動作に「人」の何かを見出して、山蟻を「小さな人」と見たのである。
丸薬商売に夢中になって、面白さのセンスを失いかけている山東京伝が、この悦材を追い出してしまったというのがこの小説のオチなのでは。
ブログ管理人の勝手な空想かもしれないが。
色文字部分:小説「山東京伝」からの抜粋
参考文献
ちくま文庫 内田百閒集成3 「冥途」に収録の「山東京伝」
中央公論社 「戯作者銘々伝(井上ひさし著)」収録の「山東京伝」