雑談散歩

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内田百閒の短篇小説「猫」を読んだ感想



猫を題材とした内田百閒の小説では「ノラや」を思い浮かべる読者が多いのではあるまいか。
それに比べて、「猫」と題された短篇小説の存在を知る者は、少ないかもしれない。
なぜなら、「猫」は、インターネット上では、ほとんど話題に上っていないからである。

ブログ管理人は「ノラや」を未読のまま、「猫」を読んでみた。
そして、この短編小説の、最後の部分が気になった。

女中が主人公の「私」に「随分遅くまで起きていらっしゃるんですのね」と言って階下に下りて行くシーンだ。
ここで小説は終わっている。

女中は、どうしてそんなことを言ったのだろう。

意味ありげだが、意味が解らない。
ブログ管理人は、「?」という状態で小説を読み終えたのだった。

岩佐という男が「私」を訪ねてきたという時刻は、夜の11時となっている。
岩佐が帰った後、「私」は、本当に岩佐が来たのだろうかと自問自答している。

その時に、「お連れ込み」のアベックが女中に連れられて2階に上がって来た。
女中がアベックを案内した部屋(「私」の隣室)から猫が飛び出してひと騒ぎ。

この間が1時間ぐらいだとすれば、女中に「随分遅くまで起きていらっしゃるんですのね」と言われたときの時刻は12時過ぎぐらいと思われる。

それぐらいでは、遅いには遅いが、「随分遅くまで」起きているとは言い難い。
まして「私」は物書きのようであるから、深夜まで仕事をしていたこともあったであろう。

不明な思いに駆られて、もう一度「猫」を読んでみた。
短い小説なので、再読は容易である。

すると、見えてきたのは、女中にこう言われたときの「私」の「秘かな笑い」だった。

小説「猫」の冒頭に、「私」は風邪気味でこの二三日、なんとなく気分がわるく、夜になると、いくらか熱も出るらしい」と書かれてある。
そのため「宿の女中の買って来てくれた漢方の風邪薬を飲んだり」している。

夕刊を読んだ後、9時近い頃、2階の自室に戻った。
そして、無人の暗い隣室に人の気配を感じたり、夜遅くの岩佐の奇怪な訪問があったり。

岩佐が帰った後は、「じっと坐っているのが胸苦しくなった」りしている。
「風邪薬を飲んで、いつ迄も起きていては、何にもならないから、早く寝てしまいたい」と思っているのだが、「無暗にいらいらして」落ち着かない。
そこへアベックの登場と隣室での猫騒ぎ。

猫騒ぎがあってからは「私」の「いらいら」が消えて、「辺りが急に広広と、爽やかになった気持」になる。

そんな様子をそれとなく見ていた女中は、「せっかく私が風邪薬を買ってあげたのに、安静にしていないで、いつまで起きているのよ」みたいに感じたことだろう。
そんな気持ちで、皮肉を込めて「随分遅くまで起きていらっしゃるんですのね」と言ったのだ。

岩佐が来たの来ないのなんて寝ぼけたことを言ってないで、早く寝ちゃいなさいよと言っているのである。

幻影を見たかもしれないと深刻になっている「私」とあっけらかんとした女中との対比。
そのズレが、この小説の面白さであり、可笑しさかもしれない。

小説全体に通底するのは、「現実」と「幻覚」の境界の曖昧さだ。
岩佐は来たのか来なかったのか。
猫はどこから来てどこへ行ったのか。

そうした曖昧さの中で、宿の女中だけが地に足をつけている。
そんな女中の姿に、思わず笑みをこぼしている「私」を空想してしまった。

「随分遅くまで起きていらっしゃるんですのね」は、「私」が風邪気味であるという事を抜きにすると、意味ありげな不気味な台詞に変幻するであろう。

不可解な恐怖を幻想的に描く作家として名声が高い内田百閒。
ところが「猫」は、百閒が仕掛けた「笑い」の演出なのであるまいか。
そんな読み方もできるような、ラストシーンだと感じたしだいである。


色文字部分:小説「猫」からの抜粋

参考文献
ちくま文庫 内田百閒集成9 「ノラや」に収録の「猫」

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