藤沢周平「霜の朝」のわずかな時間
藤沢周平の短篇小説「霜の朝」は、まるで迷路のような小説である。
霜の降りた早朝、布団を抜け出して長い廊下を渡り、使用人の報告を受けた奈良屋茂左衛門(ならやもざえもん)は、そのまま回想の世界を彷徨いだす。
老人の姿を追って、小説を読み進める読者は、茂左衛門にまつわる様々な挿話の煙にまかれて、いつしか現実の老人の姿を見失う。
●豪商の奈良屋茂左衛門の経歴と、彼が幕府の御用材木問屋にのし上がった経過。
●同じく豪商で、茂左衛門のライバルである紀伊国屋文左衛門(きのくにやぶんざえもん)との、小判が舞飛ぶ豪奢な遊びの競り合い。
●宝永四年の富士山の大噴火。
●将軍綱吉の逝去に伴う幕閣の人事の話題。
●茂左衛門や文左衛門を尻目に、将来一大財閥に成長するであろう三井家の台頭。
読者は、列挙した様々な挿話に気をとられ、どれがリアルタイムで、どれが茂左衛門の回想なのかが不明になり、物語の筋道を見失ってしまう。
この物語は、向島の茂左衛門の別邸での、ごくわずかな時間の出来事である。
茂左衛門は午前五時に別邸の差配をしている喜兵衛に起こされ、別室で、使用人の宗助の報告を聞き、その後、若い女が眠っている寝間に戻る。
実際には、この短い早朝のひとときにすぎない出来事が、老人の果てしない回想に姿を変えているのである
しかも、回想の途中で、ちょくちょく我に返り、早朝の光りを浴びた霜を眺めたりするから、読者の時間感覚は奪われる。
茂左衛門の回想は、文左衛門が失策したという宗助の報告を聞いたことによって始まっている。
そして、ライバル紀伊国屋文左衛門との闘いは終わったと知るところで、回想から解かれる。
これだけを見ると、小説の構成は整然としているように思われる。
だが、回想の中の時間軸のずれが、読者を右往左往させる。
この謎めいた構成は、作者が意図したものなのか。
それとも、単に、私の読解力の無さによるものなのか。
作者はこの回想で、時代を暗躍した茂左衛門や文左衛門の迷走ぶりを、暗に示しているように思われる。
そして、この回想そのものに、年老いた人生の揺らぎや、元禄の世に賄賂で地位を築いた豪商たちの行き詰まりを映しているのだ。
●一緒に寝ている若い女の体臭を耐えがたく思うことがあるという茂左衛門の「それだけ老いたということだ」という述懐。
●「確かにひと時代が過ぎたようだった」という感慨。
●「紀文も、ひと時代のひと盛りが過ぎるのを、風を見送るような眼で眺めているのだろうか」という思い。
奈良屋茂左衛門は長い回想を終えて、走り続けてきた豪商人生ではじめて郷愁に浸ったのだった。
あたかも、白い霜が降りた朝が、それを象徴しているようである。