雑談散歩

    山スキーやハイキング、読書や江戸俳諧、山野草や散歩、その他雑多なことなど。

藤沢周平「弾む声」平穏と悲哀の対比

藤沢周平「弾む声」新潮文庫


藤沢周平の短篇小説「弾む声」は、老夫婦の憧憬が失われていく様を描いた物語である。

憧憬の対象は、毎日、隣家を訪れる女の子。
その子が友達を呼ぶ元気のいい弾むような声が、老夫婦の単調な日々に色どりを与えていたのである。
女の子は、お稽古事に通う友達を、毎朝迎えに来ていた。

最初、妻の満尾が、外から聞こえてくる女の子の声を楽しみに待つようになった。
そのうち助左衛門も、女の子の呼び声を心待ちにするようになった。

助左衛門は城勤めをしていたとき、同僚の不正を奉行に告発した。
ところが、彼は役を解かれたうえ、半年もたたないうちに上役から隠居をすすめられる。
このとき助左衛門は「正義が負けて悪が勝った」と思った。

不正を行った側が助左衛門を追い落としたことで、彼は城勤めに失望したに違いない。
隠居して夫婦二人だけで現在の家へ越してきて、会話の少ない暮らしが続いている。
世捨て人のような助左衛門の暮らしぶりに、妻の満尾が疲れてきていることを彼は感じていた。

そんな生活のなかで、女の子の声が聞こえなくなってから十日ちょっとが過ぎた。

隣家に問い合わせると、少女の父親が多額の借金を苦にして自殺し、一家は離散したという。
老夫婦は、奉公に出された少女の行き先を突きとめ、会いに行く。

いったい老夫婦は、なぜこの少女に執着するのだろう。
助左衛門が世捨て人のような暮らしを送っているのは、同僚と上司の謀に失望したせいである。
年老いているという諦念もある。
世間に無関心な暮らしの中で、彼は純真で尊いものに触れたのである。
それが、少女の弾む声だった。
少女の声を聞くようになってから、夫婦の会話が多くなり、笑いも戻って来た。
少女は老夫婦の気持ちの支えになっていたのだった。

老夫婦は何度も少女の奉公先を訪ね、少女に会いに行ったが、ある日少女は奉公先から姿を消していた。
店の主人の話では、もっと実入りのいい女郎屋に売られたのではということだった。
助左衛門は、このまま知らぬふりはできないと、妻と一緒に少女の実家へ向かうのだった。
だが、助左衛門に何ができるだろう。

隠居後に家督を引き継いだ息子の事を、助左衛門は小心者で金銭にこまかい男だと嘆いている。
しかしこれは、作者の逆説かもしれない。
金銭感覚がしっかりしていないと、少女の父親の様に、知らぬ間に借財を抱え込むこともあり得るのだ。
少女は、金銭社会の生贄となって、女郎屋に売られたのである。

人生経験が豊富とはいえ、助左衛門は武家の身分である。
生活に困ることのない老夫婦が、町民の暮らしの奥底まで知るはずもない。

老夫婦の焦燥をよそに、底知れぬ人間社会の苦界に落ちていく少女。
少女に寄せた憧憬は、俗世の汚れの中で失われようとしていた。

少女の運命を前にして、助左衛門は再び「正義が負けて悪が勝つ」という現実を突きつけられたのである。

藤沢周平は、好意だけでは救い得ない悲哀を描いている。
その哀感を、穏やかな老夫婦の暮らしと対比させることで、世の中の陰影を際立たせようとしたのではあるまいか。

Next Post Previous Post

スポンサー