2014/01/31

指の爪を切りながら考えたこと

手の写真
器用に動く左右の指。
手の指の爪を切っていたとき、気がついたことがあった。

足の指の爪は、右手だけで切れるのに、手の爪を切るときは、左右の手を交互に使わなければならない。

自分で自分の爪を切る場合において、これは自然な動作なのだが。

右手と左手の動き                                            

左手の爪を、右手で切る。

右手の爪を、左手で切る。

というふうに、手の爪を切るときは、右手(利き手)一丁で済ます訳にはいかない。

この馬鹿らしいほど当たり前のことに、物事を考える上での重要なヒントが隠れているような気がしたのだが。

右手を使っているときは普通の感覚だったのだが、左手で右手の指の爪を切っているときに、何かを感じた。

ちょっと違う世界かなとか、なんか世界が違うなとか。

左手が、利き手である右手と同等に近い働きをするのは爪を切るときぐらいではなかろうか。

小指で耳くそをほじくるときとか、人差し指で 鼻くそをほじくるときも、それぞれの手は同等の働きをするように思える。

が、この場合は道具を持っていない、素手の作業だ。

爪を切る時は、爪切りという便利な道具を持っての作業になる。

筆記用具やナイフなど、普段、道具を使うのは、多くの場合右手(利き手)。

それが、爪を切る作業に限っては、左手も利き手と同じ働きをしなくてはならない。

万能だった右手が、鈍臭い左手のお世話にならなくてはならないのだ。


 二面性                                               

その鈍臭い左手で爪を切っていたとき、世界の印象がちょっと違った。

大げさにいえば、こうだ。

右手で左手の爪を切っていた時は、雲の上で天下を取ったような気分だったが。

左手で右手の爪を切っていた時は、 何やら低所から周囲を観察しているような気分になった。

動物が天敵の存在を探っているような・・・・。

そこで気がついた。

右があるから、左がある。

明があるから、暗がある。

強があるから、弱がある。

陽があるから、陰がある。

それぞれが対立するもののようだが、実は一体であるという自明のことに、改めて気がついた。

手の爪を切ることで、私の視点が改まったのだ。

人に限らず、事物の二面性は、右手と左手で作られているのではなかろうか、という素人考え。

その先は?

ううむ、その先は。

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