2014/03/15

遅き日のつもりて遠きむかしかな

春の晴れた午後に、昔の情景が思い浮かぶことが多い。
昔の情景といっても、子どものころだったり、青年期のころだったり。
静かな昼下がりに事務所で仕事をしていると、木造家屋のどこかから、語りかけるような風の音が聞こえたりする。

そんな物音を、遠い昔にも聞いたことがあるような思いにとらわれる。

春の午後は、独特な空気が流れていて、時の過ぎるのを忘れてのんびりした気分になる。
すると、遠い昔の思い出が、今現在の午後の時間に重なってくる。

昔と同じ時間を過ごしているような錯覚。
昔と同じ物思いにひたっているような錯覚。



冬に比べて暮れるのが遅くなった春の日。
時が過ぎても、まだ明るいのをいいことに呆然と物思いにふける。
暮れかかる風景を眺めたり。

何か心にしみる小さな物音に聞き入ったり。
そうしている間に、闇夜が訪れる。

昔から、こんなことを繰り返して過ごしてきたのだった。
そんな日々が積りに積もって、もう遠い昔のことになってしまった。
昔を思い返せば、思い出は、過去から現在へと押し寄せてくる。

それが、現在の日々が積もり積もって、思い出を遠い昔へと押しやっていたのだ。
暮れそうで暮れない夕暮れを眺めていると、そんな思いにとらわれてしまう。
考えようによっては、思い出は過去を思い出すことではなく、現在を過去に蘇らせることであるかもしれない。

走り去る自動車のタイヤの跡は、過ぎていく現在の刻印。
その刻印は、通り過ぎてきた現在の羅列。
遠い昔への道しるべ。

現在は、刻々と過去へ取り込まれていく。
と同時に、現在は刻々と未来へも取り込まれていく。

遅き日のつもりて遠きむかしかな

与謝蕪村60歳のときの句であるとか。

※「遅き日」:「遅日(ちじつ)」を訓読みにした語。「春の日」とか「日なが」を意味する。
俳句では、春の季語。

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蕪村しみじみ

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