2015/10/13

「清滝や波に塵なき夏の月」から「清滝や波に散りこむ青松葉」への改作

前回、松尾芭蕉の辞世の句についてちょっと書いた。
辞世の句とは、死に面した俳諧師が、この世に別れを告げるためにつくる句のこと。
芭蕉の場合は、「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」が辞世の句として世に知られている。

しかし、芭蕉が書いたと言われているこの句の前書きは「病中吟」となっている。
この句を芭蕉が辞世の句として意識して作ったのなら、「辞世」という前書きがつくのではという疑問が残る。

この句は亡くなる4日前の作とされている。
その後、亡くなる2日前に、長兄や門人宛てに遺書を書いている。
長兄への遺書は自筆だったという。
芭蕉は、病状が日増しに悪化するなかで、自身の病死のことが念頭にあったのだろう。

肉体は衰弱していても意識がはっきりしていたのだから、辞世の句を遺そうというのであれば、前書きを「辞世」とするはずである。
芭蕉は「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」を辞世とは意識して無かったのではあるまいか。

辞世とは意識していなくても、その人の生涯最後の詩や歌や句が辞世として扱われていることが日本では多い。

ところが芭蕉の場合は、「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」が最後の作ではない。
亡くなる3日前に以下の句を作っている。

清滝や波に散りこむ青松葉
松尾芭蕉
この句は改作である。
初案は、この年の夏に嵯峨で作った以下の句であるという。

清滝や波に塵なき夏の月
松尾芭蕉

初案が二転三転して、「清滝や波に散りこむ青松葉」に落ち着いたのが、亡くなる3日前であったらしい。
この句が芭蕉の生涯最後の作であるから、「辞世」と題された句が無い以上「慣例」からいけば、この句が「辞世」にふさわしい句ということになる。

はたして芭蕉は、死に際に辞世の句を遺そうとしたであろうか。
かつて芭蕉は41歳のとき、「野ざらし紀行」の旅立ちに際し、「野ざらしを心に風のしむ身哉」という句を作った。
この旅のなかで、もしかしたら自分は「野ざらし」となって朽ち果てるかもしれないというネガティブな心境を、芭蕉は旅の出発に際して、「野ざらし」になんかなるものかというポジティブな心境に反転させた(ブログ管理人の推測)

この私の推測に即して考えると、芭蕉は「辞世の句」を意識していなかったと言えるのではないだろうか。

「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」も「清滝や波に散りこむ青松葉」も、辞世ではなく、前回書いたような「憧憬」なのではあるまいか。

ところで、この2作のこと。
  1. (初案)清滝や波に塵なき夏の月
  2. (最終改作)清滝や波に散りこむ青松葉
私的にどちらが好きかといえば、もちろん(1)。
地上の清滝川と、天空の月の対比。
その間を流れる塵無き清流。
清流に映った澄んだ月と、天空の月との対比。
その大きな空間感覚が好きなのだ。

これに比べたら(2)は平面的で芭蕉らしくないと感じた。

「青松葉」を芭蕉自身のこととすると、清滝川の清浄な流れに身を任せて死んでいきたいという「辞世的」なイメージも思い浮かぶのだが・・・・。

前作の改作は改作で、それに「辞世」的なイメージを便宜的に盛り込む芭蕉ではあるまいと思ったしだい。

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