雑談散歩

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海辺の丘に植えられた「概念」

新中央埠頭緑地のメタセコイアを眺めながら、この木が立派に成長するといいなぁと思う。

大木に成長すると、この丘もカッコ良くなるなぁとか。
平和公園とか勝田公園とか遊歩道緑地とか、青森市内の公園には、たくさんのメタセコイアが植えられているが、海辺の丘に悠然と立っているメタセコイヤが一番凛々しく見えることだろうとか。

去年の夏頃までは一本の木も無かった丘に、秋頃、突然姿を現したメタセコイアに、妙に愛着を感じている。
そんなことを思っていると、あることに気がついた。
去年の秋に、まだメタセコイアが植えられる前のこの丘には、私が上記のように思った「概念」が植えられていたのではなかろうかと。

新中央埠頭の海辺の丘に立つメタセコイア。


それは、この丘に木があったらいいなという市民の希望だったかもしれない。
この丘を企画造成した設計者のイメージだったかもしれない。
実際の植樹工事を行った造園業者の計画であったとも言える。

そういう様々な「概念」が、海辺の丘に植えられていたのだ。
そして、それらの「概念」の視覚的な像として、海辺の丘にメタセコイアが立っている。
これは、去年の秋に実在化したひとつの「概念」だったのだ。

たとえば、木と言う「概念」に対してメタセコイアが選ばれたのはどうしてだろう。
海辺の樹木としては、クロマツとかカシワが最適だろうが、それではありきたり。
海辺の丘にクロマツは、どこにでも見られる風景である。
サクラもいいかもしれないが、サクラは、近くの合浦公園に植えられている。

背の高い立派な木が良いと意見が出される。
ポプラでは、寿命が短くて、根が浅く倒れやすいからダメ。
ケヤキは、枝ぶりが良すぎて海からの強風で枝が折れそうだからダメ。
ヒマラヤスギはどうだろう、きっと立派に見える。
でも、あれは落葉しないから、風を受ける面積が多すぎて、強風に倒れそうだからダメ。

それじゃ、メタセコイアは。
秋には落葉して骨になるから、冬場の強風がすり抜けていくんじゃないか。
しかも、大樹になったら、見栄えがいいことこの上ない。
きっとこの丘は、新中央埠頭の名所になる。

おそらく、様々な議論の末に海辺の丘に植えられた「概念」はメタセコイアになったのだろう。
たとえ、このメタセコイアが海岸という環境に合わなくて枯れ死んだとしても、海辺の丘に植えられた「概念」は滅びない。

「概念」は実在化を求めて生き続けることだろう。
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