雑談散歩

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「愛の園」と「花の首飾り」を混同してしまうのはなぜか?

布施明の「愛の園」とザ・タイガースの「花の首飾り」。
私は、このふたつの歌を、しばしば混同してしまいがちだ。

「そこには花が咲いている」ではじまる「愛の園」。
「花咲く娘たちは」ではじまる「花の首飾り」。

ふたつの歌に共通しているのは、歌詞に「花」が出てくることと、男女の愛の歌であることと、童話的なイメージに色塗られていること。

そして、このふたつの曲は、ともに1968年(昭和43年)の春に発売されている。
「愛の園」は4月20日発売。
発売されてからは、布施明の代表的なヒット曲のひとつとなった。
「花の首飾り」は、「愛の園」よりも一月ちょっと早い3月15日発売。
ザ・タイガースのシングルでは最大のヒット曲になったという。
花の歌がふたつとも、ほぼ同時に、春に発売されたのは印象深いことだ。

昭和43年というと、年の瀬も近い日本を騒然とさせた、あの「三億円事件」が発生した年。
東京都府中市での12月10日の出来事だった。
この事件は、実行犯が逮捕されずに「公訴時効」をむかえ、「未解決事件」となっている。
ふたつのヒット曲は、この年の夏から秋にかけて、テレビやラジオの歌謡番組で盛んに流れていたに違いない。
「三億円事件」の実行犯も、移りゆく季節のなかで、これらのヒット曲を、何度も耳にしたことだろう。
犯人の実像は不明だが、昭和43年の日本の歌謡文化に触れながら生きていたことは確かだ。

「愛の園」の童話的なイメージを上げるとしたら、アダムとイヴの「エデンの園」ではなく、チルチルミチルの「青い鳥」の世界の方が、頭に思い浮かぶ。
歌詞にある「愛の園」を探し歩く二人の姿が、幸福の象徴である「青い鳥」を探し歩く兄妹チルチルとミチルをイメージさせるからである。

「花の首飾り」のイメージは明瞭だ。
若い娘が白鳥に姿を変えたり、娘にもどったりする歌詞の内容は「白鳥の湖」を彷彿させる。
「花の首飾り」は「愛のしるし」としての「花の首飾り」を手にした恋人たちの歌。

「愛の園」は、花が咲いている場所にも、夢があふれている場所にも、まだたどり着いていない恋人たちの歌。
いや、まだ恋人もいない、若い男の歌かもしれない。
チルチルミチルのように、二人で「愛の園」を探し歩くことを夢見ている独りの男の歌かもしれない。
「愛のしるし」としての「愛の園」と、そこにいるべき恋人を探せないでいる若者の希求の歌なのかもしれない。

こんな違いのあるふたつの歌なのだが、その違いが、どっちがどっちかわからくなって混同してしまうのだった。
「そこには花が咲いている」ではじまる「花の首飾り」。
「花咲く娘たちは」ではじまる「愛の園」。
違ったっけ?

そして、これらの童話的な歌が日本中に流れていた季節、ある種メルヘン的で探偵小説的な「三億円事件」が日本中を混乱に落とし入れたのだった。

ちなみに私の昭和43年は、17歳で高校2年生だった。
「愛の園」と「花の首飾り」は、ラジオの深夜放送でよく聞いていた。
まだ「女性」に「花」のイメージを抱けていた少年の頃だった。


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