2016/07/21

春雨や蜂の巣つたふ屋根の漏り

春雨とは、春の新芽を濡らす細かい雨のこと。
しとしとと降る雨は、一日中降ったり、三日ぐらい降り続くこともある。
大降りにはならずに煙るように降る雨に、詩情を感じることも、たまにはあるかもしれない。
青森ではこんな雨が降ると、ようやく雪の季節が終わったなぁという気分になる。

春雨や蜂の巣つたふ屋根の漏り

元禄7年、芭蕉51歳のとき、江戸深川の芭蕉庵での作とされている。
春の芭蕉庵での、とある雨の日の光景である。

「春雨」は春の風情を演出する季語。
煩雑な日常から心を解いて、俳諧の「美意識の世界」へと導く季語のひとつである。
だが芭蕉の視線は、春雨に濡れた新芽の美しさへは向かわない。
軒の屋根から漏った雨水が軒下を伝い、軒下の蜂の巣を伝って落下するのを見ている。
芭蕉庵での倹しい暮らしと、その暮らしぶりから発生するいろいろな出来事。
その暮らしの出来事を題材にして作られた句である。

「蕉門十哲」の一人である俳諧師「志太 野坡(しだやば)」の書簡によれば、この蜂の巣は去年作られた巣が残ったものであるという。
蜂が古い巣を再利用することは無いと言われているので、この句の「蜂の巣」では、蜂は生活していなかったと考えられる。
ちなみに、アシナガバチが巣作りをするのは5月下旬頃からである。
春雨のころには、まだ今年の巣は出来ていない。

空になった巣に雨水が伝っている光景には、侘しさが漂っている。
元禄5年5月に、第三次芭蕉庵が新築されたというから、わずか新築2年目での雨漏りである。

この句を作った頃は、芭蕉はもう伊賀上野への帰郷の旅を決めていて、その準備をしていた時期。
旅を目前に控えた、センチメンタルな雨の日に、しみじみとした気持ちで住まいの周辺を見回した。
屋根から軒下に、わずかに漏れた雨水が、蜂の巣を伝って流れ落ちている。
「建てたばっかりなのに、もう雨漏りか。」と芭蕉がつぶやいたかどうか。

空の蜂の巣と、自分のいない芭蕉庵を重ね合わせたのか、侘しい気持ちがこみ上げてきた。
それとともに、芭蕉庵の雨漏りを見つけて、2年間暮らした住まいに対して愛おしい気持ちも湧いて出た。
同居人(寿貞)と別れるのも名残惜しい。
かつての芭蕉のように、「旅人と我が名呼ばれん初時雨」と威勢良くはいかない。
体調の不良が気になるところである。
もう蜂がもどってくることの無い空っぽの蜂の巣を眺めながら、いろんな思いにとらわれた芭蕉ではなかったろうか。

春雨や蜂の巣つたふ屋根の漏り

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