2016/07/02

風雅と世俗の調和「寒菊や粉糠のかかる臼の端」

菊といえば、秋の代表的な花。
「寒菊」は、秋が深まり寒い時期になってもまだ咲き残っている菊をイメージさせる。
また、「寒菊」は、シマカンギクなどの冬場に咲くキクの品種の総称でもあるという。
冬場に咲く「寒菊」は、秋に咲く菊よりも花も葉も小さい。
花期は12月から1月。
近畿地方以西の日当たりの良い山麓に自生するというから、青森で自生している姿を見かけることは無いわけである。

寒菊(かんぎく)や粉糠(こぬか)のかかる臼(うす)の端(はた)

芭蕉の句の中で、私が、好きな句のひとつである。
庭先での米つきの様子をさりげなく詠った句。
米つきとは、玄米を臼に入れ、杵でついて糠を取り除くこと。
玄米を白米にすることなのだが、その過程で、粉糠が「臼の端」に降りかかる。
「臼の端」とは、臼の縁(ふち)のこととも、臼の傍らや臼の周辺のことともとれる。
その両方をイメージすると、句の情景に奥行きが出てくる。

掲句は、元禄7年(1694年)6月に刊行された俳諧の選集「炭俵(すみたはら)」におさめられた芭蕉の発句。
元禄6年、芭蕉50歳のときに作られた句とされている。
松尾芭蕉晩年の句である。

粉糠は臼の縁にも臼の傍らにも降りかかっていたことだろう。
米つきは、白米を家の中へ運びやすいように、縁側のそばで行われていたに違いない。
その縁側のそばには「寒菊」が植えられている。
花の無い初冬の季節に、鮮やかな黄色い花を咲かせている遅咲きの菊。
秋の菊よりは小ぶりであるから質素な感じがする。
寒菊の質素さが倹しい暮らしぶりを連想させる。

掲句には独特のリズム感がある。
そのリズム感が、米つきの動作を表現していると思う。

んぎくや こぬかかる うすの端

と、音が連続して、米をつく独特のリズムが伝わってくるようである。
その動きが、「端」で静止する。
「端」は井戸端とか川端とか道端とか囲炉裏端とか、そこから人々の暮らしに繋がっていく「箇所」を示している。
その「臼の端」が、米をつく人と繋がり、家の縁側と繋がり、寒菊と繋がり、周辺へと繋がっていく。

動的な音の連続の後、「臼の端」で静止する体言止めは、そういう広がりをイメージさせる。
暮らしの動きが、慎ましい空間に繋がっていく。
そう、これは芭蕉の倹しい暮らしの句なのだ。
芭蕉自身の倹しい暮らしぶりなのか、近隣の人々の倹しい暮らしぶりなのか。

掲句は、粉糠のかかった「臼の端」の「寒菊」に焦点を合わせ、「臼の端」の手前の米つきをする人や「臼の端」の奥の情景を少しぼかした、被写界深度の浅い映像を思わせる。
人々の暮らしを題材にとった芭蕉晩年の句に、芭蕉のカメラワークを感じてしまうのは私だけだろうか。

「臼」は生活臭が漂っている庶民の暮らしの道具。
その「臼」と、可憐で慎ましい「寒菊」を対比させて、「寒菊」の儚さや美しさを目立たせていると「解釈」される方も多いようである。

だが、この句に対しては、別の見方もできるのではなかろうか。
それは、私には「臼」と「寒菊」の「対比」ではなく、「調和」として感じられるからである。
菊の花が、暮らしの営みのために粉糠で埃にまみれたようになっている。
でも風で払い落とされたり、雨で洗われたりして、元の美しい姿にもどることだろう。
というように私には、「人の暮らし(世俗)」と「自然の営み(風雅)」とが「対比」では無く「調和」として感じられるのだ。
米つきの動と、「臼の端」の静が、寒菊の咲いている空間で「調和」しているように。

もっと俗っぽく言えば、その「調和」から「花より団子、寒菊より飯(めし)」という刹那の衝動を垣間見ることができる。
と言ったら言い過ぎだろうか。
芭蕉は、俳諧にすることで、その「刹那の衝動」を「文芸」の世界へ押し上げようとしたのではあるまいか。

これらも晩年の作である以下の句に触れるとき、私は、そう感じてしまうのだ。

「鶯や餅に糞する縁の先」元禄5年、芭蕉49歳のときの作。
「飯あふぐ嬶が馳走や夕涼み」元禄7年、芭蕉51歳(没年)のときの作。

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