2016/11/23

凡兆の感性の在り処「雪ふるか燈うごく夜の宿」

昨夜、青森市内に5センチぐらい雪が降った。
朝起きて外を見たら、地面が白くなっていたので、天気予報通りだったのだ。
夜、寝るときには気がつかなかった。
音もなく降った雪だったから。

雪の夜
雪の夜。

上の写真は、今日の夜の写真。
日中、雪は降ったり止んだりしながら、またちょっと積もった。
20時現在の青森市内の積雪の深さは14センチ。
同じ青森市内でも、八甲田山の酸ヶ湯では50センチの積雪。
スキーヤーにとっては待望の降雪。

雪ふるか燈(ともしび)うごく夜の宿
野沢凡兆

冷え込んだ夜、凡兆は部屋のなかで本を読んでいたのだろうか。
それとも、燈火を眺めながら、物思いに耽っていたのか。
しんと静まりかえった夜。
ときおり何かの物音がして、その余韻を耳で追ったり。
そのあと、あたりはいっそう静かに。

夜が深まるにつれて冷え込んでくる。
凡兆は閉め切った部屋のなかで、火鉢にあたりながら縮こまっている。
炭は赤くおこっているが、温もりはあまり伝わってこない。

燭台の上で灯っていた蝋燭(ろうそく)が、かすかに揺れ動いた。
それを見た凡兆が、「雪が降るのか」とつぶやいた。
「さもありなん、この寒さだもの。」と身震いしたことだろう。
凡兆の吐く息が燈火を揺らした。
それとも、「ひとりたふるる案山子」のように、ひとりでにうごいたのか。

旅の宿ではなく、京都の凡兆宅でのことだったのかもしれない。
もしそうだとすれば、あえて「夜の宿」としたのは、異なる空間を描こうとしたのだろう。
家に居ながら、見知らぬ旅の宿のことを空想する。
揺れうごいた「燈」に照らされた凡兆の感性。

「雪ふるか」には凡兆の感情がこもっている。
その感情の有り様は、この句からは推し量れない。
雪の夜の感情を、「雪ふるか」とそのまま句にした。
そのまま句にすることで、すうーっと異空間に運ばれていく。
その感情は、雪のように、空想の宿に落ちた。

空から地面に落ちてきた重い雪に押されて、部屋の空気がわずかに動いた。
その空気が蝋燭の灯を動かしたと、凡兆は感じた。
「燈うごく」には、ものの気配を探る凡兆の視線が感じられる。
「燈ゆれる」とせずに「うごく」としたことで、ものの存在感が生々しく伝わってくる。
「うごいた燈」の存在感。
部屋の中を照らしていたものの存在感。

これが、文字通り旅の宿で作った句なら、「燈うごく」に凡兆は何を感じたのだろう。
「ものの在り方」を独特の視点で見つめることで、凡兆は、自身の感性の在り処を探していたのかもしれない。
自分は何を受け入れ、何を拒んできたのか。
ときおり覚える感情や衝動や欲望を、どう描けばいいのか・・・・。
そんな感性が、かすかにうごいた「夜の宿」。
凡兆は「夜の宿」で、「うごく燈」を、じっと見つめ続けていたのだろう。

雪ふるか燈うごく夜の宿

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