2016/12/27

鶏の声もきこゆる山さくら

現代ではオオヤマザクラ(大山桜)という山桜の品種を、街でもよく見かける。
「山さくら」と言えば、江戸時代の頃は、山にある自然の桜の木のことを指していたらしい。
であるから、「山さくら」は山間部でなければ見ることができない桜であったようだ。

(にわとり)の声もきこゆる山さくら
野沢凡兆

「猿蓑集 巻之四 春」に収められている凡兆の句である。
山の奥深くへ分け入って、美しい「山さくら」の木を見つけた。
こんなに人の気配のない山奥まで入ったのだから、この桜は誰にも知られてはおるまい。
美しい桜を独り占めに出来たような、そんな気分でいたら、どこからか「鶏」の鳴き声が聞こえた。
こんな山奥にも里があって、人が暮らしているのだと、凡兆は感心する。

同時に凡兆は、「鶏」の鳴き声に里の温もりを感じる。
人知れず咲いて散る桜よりも、人の目を楽しませる桜の方に親しみを感じる。
それが、人の暮らしに目を向けて句を作る凡兆の思いであるように私は感じている。

「桜の花に集まってくる小鳥は、なんという鳥だろう?」と、以前、野鳥好きの知り合いに訊ねたことがある。
「主にヒヨドリとかメジロ、シジュウカラ、スズメが花の蜜を吸いに来るようだよ。」と知人は教えてくれた。
おそらく、これらの愛らしい小鳥が、句を詠むうえで桜に似つかわしいのだろう。
凡兆は桜の取り合わせに「鶏」を撰んだ。
風雅を重んじる観点からは、いささか野暮ったい外見の「鶏」。
生活臭が漂っている「鶏」を桜と取り合わせるところに、凡兆らしい視点を感じる。

もしかしたら凡兆は、山で賑やかな人声を聞きつけて、その方に向かって歩いていたのかもしれない。
笑い声と歓声、それに歌声まで聞こえる。
これは、何の騒ぎだろう。
興味津々、凡兆は人声に誘われて進む。
すると開けた谷に出た。
谷の両側にそびえている山の中腹部には、「山さくら」の薄紅色がそこかしこに。
広い原っぱで、谷の集落の村人たちが花見に興じている。
村人たちの宴のざわめきに混じって、鶏の鳴き声まで聞こえる。
のどかな山里を囲むような「山さくら」。

「きこゆる」とは、「聞こえる」の他に、「評判の」とか「名高い」とか「有名な」という意味もある。
これが評判の山里のさくらであったか。
凡兆は、村人と花との饗宴をしばしの間見とれていた。
句に人々の姿は描かれてはいないが、そんな村人の存在を感じさせるような「山さくら」の句である。

このイメージは、凡兆の句から私が感じたことを作文にしたもの。
想像力を刺激するような凡兆の俳諧だから、こんな楽しみ方ができるのではなかろうか。

「鶏の声もきこゆる山さくら」

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