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2017/04/02

凡兆の生への賛歌と愛着「明ぼのやすみれかたぶく土龍」

「あけぼの」といえば春。
「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、・・・」は、「枕草子」の冒頭の文章として有名である。
そのため、「あけぼの」と聞くと春を連想する方も多いのではなかろうか。
下記の凡兆の俳諧も、季語が「すみれ」で春の句となっている。

明ぼの(あけぼの)やすみれかたぶく土龍(うごろもち)
野沢凡兆

土龍(うごろもち)とはモグラの別名とのこと。
春の明け方に野に出てみれば、モグラ塚のために「すみれ」の株が傾いているという光景を句に詠んだものと思われる。
「明ぼの」とは、東の空が日の出の光で明るくなりはじめ、あたりの暗さがなくなって、ほのかに白くなりはじめる頃のこと。
「暁」ほど暗くは無く、「朝」ほど明るくはない頃合いのこと。
そんな時分だから、周囲のものが徐々に目視できるようになってくる。

ふと足元に目を落とすと、モグラが盛り上げた土のために「すみれ」の花が傾いている。
空がしだいに明るくなるにしたがって、地面も徐々に明るくなる。
そんな地面の様子を、凡兆は面白いと思いながら眺めていたに違いない。
この句には「土龍」に対する愛着が感じられる。
「すみれ」に対する愛着も感じられる。

この「土龍」は、地上で可憐に花を咲かせている「すみれ」を傾かせたことに、気がついているだろうかという思いも感じられる。
華やかな「すみれ」と暗いイメージの「土龍」。
その両方に対する凡兆の愛着が感じられる句であると、私は思う。

芭蕉は明け方の浜辺で「明ぼのや白魚しろきこと一寸」と、白魚の死骸の句を詠んだ。
「明ぼのや白魚・・・」の句を読んで、私はそう感じたのだった。
同じ「明ぼの」を詠いながら、凡兆は「すみれ」や「土龍」の生の姿を描いている。

「明ぼのや白魚・・・」の句は、芭蕉が、「野ざらしを心に風のしむ身哉」と詠んで旅に出た「野ざらし紀行」のなかにある。
死をも厭わぬ旅で、芭蕉が詠んだ「白魚」の句。
「野ざらしを心に風の・・・」の句は、旅の途上、野ざらしとなって死に果ててしまうかもしれないという将来に対する悲観を「偽装」しつつ、困難な状況に対して、ポジティブな志をもって挑もうとしている芭蕉自身の姿を、密かに詠ったもの。
以前、私はそう書いた。
それは、闇夜に白く浮かんだ白魚の死のイメージから、夜明けとともに色づいてくる生のイメージへと向かう芭蕉の旅への挑戦に通じている。
「明ぼの」には、死の世界から生の世界へ甦るイメージが感じられる。

凡兆もまた、生への賛歌を詠って掲句を作ったのではないだろうか。
掲句は、正徳二年刊の「千鳥掛」に収録されているという。
凡兆の没年は正徳四年とされているから、掲句は凡兆晩年の作である。
凡兆は寛永十七年生まれ。
掲句は、凡兆72歳のときの作となる。
江戸時代での72歳は、かなりの高齢者。
その年齢で迎える日毎の「明ぼの」には、命ある者として今朝も目覚めて日常を眺めることができたという思いがこもっている。
それは、高齢者となって生き長らえたという思いであり、俳諧師としてまだまだ日常世界を見つめるできるという思いでもある。

これが、「明ぼのやすみれかたぶく土龍」の句を、凡兆の生への賛歌であると私が思った理由である。
生への賛歌であるがゆえに、「すみれ」や「土龍」に対する凡兆の愛着が感じられるのだ。

凡兆の句を読むにあたって、句を作ったときの凡兆の年齢や、時代背景のことを考えると、より句のイメージが鮮明になってくることがある。
江戸時代の人々の「季節」に対する感覚の鋭敏さのこととか、江戸時代の人々にとって「季節」が最大の「メディア」だったのではないだろうかとか、いろいろ考えながら読むと、句の印象が鮮やかになってくる。
もちろん凡兆には、ストレートに鮮明な印象を感じる句も多い。

だが、現代人にもストレートにイメージが伝わる句を、もっとも多く作ったのは芭蕉ではないだろうか。
現存している句の総数では、凡兆よりも芭蕉の方が圧倒的に多い。
現代人にストレートにイメージが伝わる句の保有数において、芭蕉は群を抜いている。
それが芭蕉俳諧の特質のように思える。

単純な比較は慎むべきであるが、上記のようなことを思えば、芭蕉は「すみれ」であり、凡兆は「土龍」のような存在であったのかもしれない。

明ぼのやすみれかたぶく土龍

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