2017/10/04

かげろふの我が肩に立つ紙子哉

「大辞林」で調べると、「紙子(かみこ)」とは紙で仕立てた衣服のこととある。
以下は「大辞林(大ニ版)」からの抜粋。
厚手の和紙に柿渋を塗って乾かし、もみ柔らげたもので仕立てる。もとは僧が用いたが、のちに一般の人々も防寒用に着た。かみぎぬ。
紙に柿渋を塗ったものといえば和傘が思い浮かぶ。
和傘と同様の材質を使った衣類であれば、「紙子」は紙で出来ているとは言え、かなり丈夫なものであったのだろう。
また、紙は保温性に優れている。
残雪の山で新聞紙を断熱材代わりにテントの底に敷いて眠った経験があるから、紙の保温性能については体験済みである。

かげろうの我が肩に立つ紙子哉
松尾芭蕉

元禄二年、「二月七日、嗒山(とうざん)の江戸旅亭で七吟歌仙興行。」と「芭蕉年譜大成(著:今榮藏)」にある。
芭蕉が発句を詠み、曾良が「水やはらかに走り行く音」と脇句を詠んでいる。
曾良は、春の陽光に雪どけ水がチョロチョロと音をたてて流れていく様子を詠んだのである。
脇句が芭蕉に寄り添っていて、すでに「おくのほそ道」の旅(劇)の名脇役ぶりが発揮されている。

この年の三月二十七日の明方、芭蕉と曾良は深川で出船、奥州行脚(おくのほそ道)の途に就く。
奥州行脚の「矢立初めの句」として「行く春や鳥啼き魚の目は泪」が「おくのほそ道」に掲載されている。

「かげろふの・・・・」の句は、奥州行脚発足の予定を伝えた桐葉(とうよう)宛書簡にも添えられているので、掲句も、「旅立ち宣言」のような性格の発句であると思われる。
芭蕉の「旅立ち宣言」の句は、「旅人と我が名呼ばれん初時雨」もそうであるが、勇ましく劇的である。
たぶん「我が」という言葉が句に劇的な印象を与えているのだと思う。
「我が」によって、句のボルテージが一気に上がる。
「塚も動け我泣声は秋の風」の句も、劇的な印象が濃い。
芭蕉には、自身の感情や思念を情景や物に託して表現している句がある。
その一方で、感情や思念を自身の肉声で直接的に表現しようとしている句も少なくないように思う。

「我が」という言葉を使っている芭蕉の句は、芭蕉の感情や思念が、読者である私たちに直接的に伝わってくる。
芭蕉は、劇的な句を作ることで、読者である私たちを芭蕉劇の客席へと誘導しているのだ。
まるで「我が」という言葉を、劇の幕開けに使ってでもいるかのようである。

以前この句に出会ったとき「紙子」のことを紙で作った人形のようなものなのだろうかと思った。
「かげろふ」は、儚くてて消えやすいもののたとえ。
「かげろふの我が肩」とは、今にも消えそうな痩せて頼りない肩のこと。
そんな肩の上に立っている粗末な紙の人形。
風に飛んでいきそうな紙人形に、芭蕉はどんな儚い思いを託してこの句を作ったのだろうと思ったものだった。

だが、「紙子」の意味を知ったとき、イメージは一変した。
これはひとりの旅人の姿なのだ。
冬の寒さのなかを防寒着の「紙子」を身にまとって夢中で旅を続けていた旅人が、自身の肩に陽炎が立つほどの温かい陽気になっていることにふと気づく。
「もう春になったのか」と安堵の溜息をもらす旅人。
破れてくたびれた「紙子」が厳しかった冬の旅を物語っている。
芭蕉は深川で旅の準備をしながら、そんな思いをこの句に託したのではあるまいか。

ところで「かげろふ(陽炎)」は、太陽光で温められた地面の上や,焚き火の上などを通して遠くを見たとき、遠くの景色がゆがんで見える現象のこと。
仮に、陽光のせいで人の肩の上に「かげろふ」が立つことがあっても、本人はそれを確認できない。
芭蕉は、首を傾けても「我が肩」に立っている「かげろふ」を見ることができないのだ。
しかし、「紙子」の肩の上で、揺らいでいる「かげろふ」を遠くから見ているのは芭蕉である。

芭蕉が「我が」という言葉を使うとき、芭蕉は自らを劇の舞台に立たせる。
そして、幕が開いて旅の舞台に立っているのは、芭蕉が描いた「我」という旅人なのである。
こうして読者は、芭蕉の劇の世界に引き込まれる。

「かげろふの我が肩に立つ紙子哉」
観客の前に姿を現した旅人が独白する。

「水やはらかに走り行く音」
どこからか、春の効果音が聞こえる。

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