雑談散歩

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上林暁の「野」を読んだ感想

【「本をつんだ小舟」と、「野」が収録されている上林暁の短編集「聖ヨハネ病院にて/大懺悔」】

「野」についての、宮本輝氏の読後感想

本棚を整理していたら、二十年ぐらい前に読んだ「本をつんだ小舟(文藝春秋)」という本が奥のほうから出てきた。
この本の著者は、宮本輝氏。
「本をつんだ小舟」は、宮本輝氏の中学時代から高校時代にかけての読書歴をまとめたエッセー集である。

「本をつんだ小舟」をめくると、【上林暁(かんばやし あかつき)「野」】というページが目にはいった。
そうだ、思い出した。
二十年ぐらい前に「本をつんだ小舟」を読んだとき、この「野」という小説を読んでみようと思ったのだった。

いつのまにか、すっかり忘れていた。

宮本輝氏は「野」について、【いい小説を味わいたいと思う人は、ぜひ「野」を初めから終わりまで精読してもらいたいものである。】と述べておられる。

家の周辺にある「野」の散策物語

そこでいろいろ調べて、市内の書店から上林暁の「聖ヨハネ病院にて/大懺悔(講談社文芸文庫)」という文庫本を取り寄せた。
文庫本なのに価格が1,500円(税別)とは、ずいぶん高いんじゃねーかと思いながら。
「野」はこの短編集の二作目にあった。

「野」は「二年ばかり前のこと、薄い靄のかかった或る晩秋の日の午後、私は或る郊外電車のG駅へ通ずる広いバス道路を歩いていた。」という文章で始まる。
ひとつのセンテンスのなかに「或る」がふたつも続けてあるのがちょっとくどいなと思ったが、この「くどさ」が「野」の微妙な味付けになっている。

「私」という主人公が暮らしている家の周辺に広がる「野」。
おそらく舞台は東京都(旧東京市?)の武蔵野あたりと思われる。
小説「野」は、その「野」を散策する物語であると、わたし(ブログ管理人のことね)は感じた。

主人公の境遇

まず、「私(小説の主人公のことね)」とは、いかなる人物か。
それを小説の文章からひろってみると以下のようになる。
  1. 「敗残の身を持て余し、生きているとも思われない日々を過ごしている」
  2. 「日々の食事も乏しく」
  3. 「からだは病み」
  4. 「文学への希望は報われず」
  5. 「あばらや同然の家の中に、親子五人が生活とも言えない生活を営んでいる」

(2)の後に、「朝飯二杯、昼飯二杯、夕飯三杯ときめて」とか。
(5)の前に、「畳は破れ、襖には穴があき」とある。
こういうところが、わたしには「くどさ」であり、微妙な味わいに感じられるのだ。
「敗残」なのに、ちょっとユーモラスでもある。

「私」の生活は、上記(1)~(5)のように苦労がたえない。
ところが、この小説には、苦労が多々な物語にありがちな暗さが感じられない。
たとえて言えば、暗雲が立ち込めているような暮らしぶりなのだが、いたって晴れやかな雰囲気なのだ。
この小説を読んで、そう感じたのはわたしだけだろうか。

苦労の多い生活のなかで「私」は、昔のことも昨日のことも、今現在のことも夢のなかのことのように思われる「精神薄弱状態」にある。
さらに、「俗風景が詩的風景に見えたり、散文的な雰囲気が神秘的な雰囲気と感じられる」ことが多くある。
また作者は、「私がここにこれから書こうとしている野の風景も、すべてそういう精神の所産なのである。」と「私」に述べさせている。

「私」は、「自分の上にのしかかる現実の重みから脱れるために」「野」へ出るのであった。

ふたつのタイプの登場人物

こうして「私」は、「野」を散策するなかで様々な「野」に出会うのである。
まず、登場人物をあげてみよう。
この小説の登場人物はふたつのタイプに分けられる。

ひとつは、遠くから眺めるだけの「野」の風景の添景のような人たちである。
もうひとつは、現実の人間関係の中に登場する人物である。

前者は、添景としてただ眺めるだけの存在なので、前者から現実的な対応をせまられることはない。
しかし、思索の対象として「私」の詩的(神秘的)な好奇心を刺激している。
一方、後者に対しては、「私」は現実の人間関係を保っている。

風景の添景のような人々

前者のタイプは、以下の人々である。
  1. 「神学校通り」でバスを降りた神学校の学生:「ひたむきな精神で過ごすことの出来る彼に、私は言いようのない羨望を感じたのだ。」
  2. 近所にある大学の運動競技場の学生たち:「私は何ひとつ運動競技が出来ずに学生時代を過ごして来たけれど、・・・・青春をむなしく過ごしてきたと悔恨したことは一度もない。」
  3. 近くの喫茶店に集まって高談している実業専門学校の学生たち:「私は七度び生まれ変わっても実業家などにはなりたくないと思うのである。」
  4. 弓の稽古をしている跛の神学生:「狂熱的であった。」
  5. ゴルフパンツのようなズボンをはいて、カスミ網で雀をとる男:「その男の身振りはいよいよ得体の知れない奇怪なものに思われるのであった。」
  6. 植木屋の老人と買い手の若者:「小狡い若者と、耄碌した老人との取引を、胸苦しさのため夢のなかでのようにぼんやり聞きながら、」
  7. 乗馬倶楽部の騎手:「気息奄々として薄汚い姿をしていた私は、格別の思いで、彼の新鮮な姿を見守らぬわけにはいかなかった。」
  8. 大鷲神社の酉の日に集まる人々:「幸運が授かると言えば、どんなちっぽけな場所も見逃さず、押し寄せてゆく人間の浅間しさ、弱さ、悲しさなどを考えながら、」
  9. 若い男女がボート遊びをしている池のすぐそばで、畑仕事をしている農婦と娘:「野に出て、土にまみれた百姓の姿を見ると、世にも悲しい気持ちになる。」
この他にも、神学校の西洋人とか、応召出征する青年を見送る人々とか、演習帰りに行進する兵隊たちとか、様々な人物たちが添景として登場する。
そして、それらの人々は「そういう精神の所産」である「野」そのものでもあるように、わたしには感じられる。

家族や親戚、交友関係にある人々

次に後者のタイプ。
現実の人間関係の中に登場する人物は以下の人々である。
  1. 主人公の妻と子どもたち:「私」の収入がないに等しいので、家庭生活に自信を失いつつある妻。小説の最終部では、神経衰耗(すいこう)に陥り入院するが、三ヶ月後に回復して退院する。
  2. 親戚の青年:「私」が見送りした応召出征する青年。出征の電車の席で、見送りにきた「私」にニコニコ笑いかける。
  3. 大学時代の友人:「私」の貧しい家に、立身出世した友人が10年ぶりに訪れる。「私」と妻は惨めな思いをする。
  4. 友人:文学仲間のKさんとA君。「野」のZ池へ三人で遊びに行った思い出をつづった部分が、この小説のなかで最も明るい雰囲気を漂わせている。楽しかった日のエピソードに多くの文字数が費やされている。
おそらく、KさんとA君が「私」の理解者なのだろう。
「野」での夢遊病者のような主人公の散策劇のなかで、このZ池のシーンが唯一の救いのように描かれている。

主人公の好奇心の対象となる動物たち

面白いことに、「野」にはたくさんの動物が登場する。
この動物たちにたいして「私」は、「野」の添景のような登場人物たち同様に、活き活きとした好奇心を働かせている。
  1. 神学校の庭の雀。
  2. 武蔵野牧場の牛。
  3. 枯蘆の茂みの雀。
  4. 路ばたの山羊。
  5. 乗馬倶楽部の馬。
  6. 池のかいつぶり。
  7. 小川で毛並みを洗われているシェパード。

町の風景がどうして「野」に見えたのだろう

「野」というと、広い原っぱのような場所を思い浮かべる。
だが、この小説の舞台となっている「野」は、二箇所の風致区に指定された区域を有する
東京郊外の町である。
年代は、雰囲気的に太平洋戦争開始前と思われる。

この小説にある「野の風景」とは、当時の東京郊外の町の風景なのである。
その町の風景のなかに、神学校や欅並木や櫟林や、麦畑、農家、牧場、乗馬倶楽部馬場、神社、S池、Z池、そして「野の果ての静かな病院」などが点在している。
こういう町の風景が、「私」にはどうして「野」に見えたのだろう。

それは、この感想文の初めのほうで引用した文章に拠っている。
ちょっとくどいが、もう一度詳しく引用しよう。

「その当時の私は、遠い昔に自分のしたことが夢のように思われるのは勿論のこと、昨日一昨日にしたこともなんだか夢のようだし、今さっきしたことも、更に現在自分がなしつつあることも夢のなかの事のように思われる精神薄弱状態にあったから、一寸でも風変わりな雰囲気に接すれば、私の心の状態はもはやそれを只事とは思わないのであった。そのために、俗風景が詩的風景に見えたり、散文的な雰囲気が神秘的な雰囲気と感じられるくらい珍しくはないのであった。私がここにこれから書こうとしている野の風景も、すべてそういう精神の所産なのである。」

「私」にとっては、自身が暮らしている町が「野の風景」であるのと同様に、町のなかの人々も「野の風景」なのである。
そして、二人の友人(文学仲間)と「私」の窮乏な「文学生活」を支えてくれている妻が、「私」の散策物語のなかでは夢ではなく現実的な存在となっている。
言いかえれば、「非文学的世界」である町の風景は「俗風景」となり、そのなかに潜む「詩的風景」「神秘的な雰囲気」「野の風景」なのであった。

「野の風景」と「町の風景」が逆転する

それが、物語の最後には、「野の風景」が「町の風景」に逆転する。
その部分を引用しよう。

「私はその朝鮮女が熊手を持っているのを見ると、私も一つ熊手が欲しくなった。私は十銭の小さな熊手を買った。それには箒のつもりで藁しべを挟み、出世大鷲神社御守護のお守りもついていた。私は熊手を持って、ひどく嬉しくなって、すぐに家にかえって来た。家にかえると、冗談ともつかず本気ともつかず、妻や子供や自分の頭にその熊手をのせ、今までは病気やなんかしてどうもよくなかった、来年は一つの幸運に授かろうじゃないかと言って、高く笑った。」

小説「野」は、「精神薄弱状態」にある「私」が「そういう精神の所産」「野の風景」を書いた私小説である。
だが、そういう小説にありがちな観念的な表現は、ほとんどみられない。
「私」が「野の風景」をみる目は、夢想的でありながらも現実的な根拠をもっているように思われる。

それは、「私」自身の存在が「夢」的なのであって、周囲の「野の風景」「野の風景」としての現実なのである。
極端に言えば、「私」は「野」をウロウロと歩き回る「犬」のような存在であったのかもしれない。
だが、「犬」の眼で見た「町の風景」を「野の風景」として描くというほどこの小説は技巧的ではない。

「俗風景」への精神の逆転

それはともかくとして、おそらく「私」は、妻の入院を契機に「夢」的な存在から開放されたのだろう。
覚醒したと言うべきか。

であるから最後の「来年は一つの幸運に授かろうじゃないか」という精神の逆転が成るのだと感じたしだいである。
活き活きとした「俗風景」への精神の逆転である。


「赤字」:「野」からの引用です。

上林暁(かんばやし あかつき):1902年~1980年。文学への純粋な情熱を胸底に七十八年の生涯を私小説一筋に生きた。(講談社文芸文庫「聖ヨハネ病院にて/大懺悔」ブックカバーより)
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