吉屋信子の短篇小説「鬼火」を読んだ感想
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| 【小説「鬼火」】 |
吉屋信子の「鬼火」は、中島河太郎・紀田順一郎編による「現代怪奇小説集」(立風書房)に収録されていることから、怪奇小説や幻想小説として読まれる傾向がある作品とされている。
だが私は、この小説に、怪奇性も幻想性も感じなかった。
終戦後の焼け野原で、実際に起こりそうな、極めて現実的な物語であると感じた。
戦後の日常の一端を描いた小説として読んだ。
私が最も注目したのは、小説の最終部分で、ガス料金の集金人である忠七の「かんべんしてくれ、おれは坊主になる」という台詞である。
そこに、この小説の核心が凝縮されているのではないだろうか。
小説の冒頭で、忠七が戦後に復員して東京に戻って来た男であることが書かれている。
ということは、戦地では、多くの死を目撃してきたことがうかがわれる。
忠七が戻って来た東京は、アメリカ軍の空襲によって、一面の焼け野原となっていた。
おそらく忠七は、戦後の東京でも、多くの人々の死を実感したことだろう。
戦場での爆撃や、日本国内の空襲によってもたらされた量としての死。
忠七は、死に対する畏怖が希薄になりつつあったかもしれない。
あるいは、そう演じて生きざるを得なかった。
忠七が、様々な場面で芝居じみた言動に走るのは、その表れであろう。
また彼は、「瓦斯の集金人という役目」を演じて、「何か自分が一かどの人物であるような」錯覚に浸る。
「背景は堂々たる瓦斯会社だ」という彼の思いが、演技に拍車をかけている。
これは、大日本帝国という「堂々たる」国家組織において、個人が行わざるを得なかった「役目」を連想させる。
「忠七はいつの間にかそんなやくざな言葉をつかっていた」
「忠七はすっかり悪党ぶって」
「そういう悪たれた台詞が、何か芝居をしているように忠七をそそる」
悦に入ってエスカレートしていくしぐさが、目に浮かぶようである。
やがて彼は、自殺した女の死と、生々しく関わってしまうことになる。
忠七は、女の死を目撃して、心底の恐れを抱いた。
忠七が、焼け野原の貧しい一軒家で、ガス料金の集金のため、初めて女と出会ったとき、女は、よれよれの着物に細紐ひとつの姿だった。
そんな女の姿に欲情した彼が、今度は、「物体」となった女に、すさまじい恐怖を感じた。
「おれは坊主になる」という言葉を、死んだ女に呼びかけて、彼は失踪してしまう。
この台詞は芝居ではないであろう。
演技を脱ぎ捨てた忠七の、心からの叫びであったと思われる。
忠七の失踪は、量としての死に馴れてしまったかのように振る舞ってきた男が、一人の人間の死を前にして覚醒したことの表れであるように感じられた。
この小説が怪奇小説であるとする読者は、「鬼火」の存在が気になるからであろう。
極貧に喘いだ夫婦が死に絶えて、無人となった小さな家の「じめじめとした陰気な台所の瓦斯コンロにぼうぼうと音をたてて、瓦斯の青い火が燃えている」
こんな光景は、一見、怪奇的であるとも言える。
だが、ガスが消されずに燃え続けていたことは、女が、ここでこうやって生きてきたのだという「証」を点けたのだとも考えられる。
それを世間に示したかった女の情念が、「鬼火」となって燃えているように私には感じられた。
※赤文字部分 吉屋信子「鬼火」(ちくま文庫)からの引用
