2007/10/28

高齢者のキノコ採り遭難死

倒木の上にナラタケ。
今日もまた仕事で、山へ行けない。
「サモダシ食いたい病」はかなりエスカレートして、舌がヒクヒクよだれビロビロなのだが、仕事をしないとサモダシどころか、おマンマが食えない。

2007/10/21

八甲田古道空想(下湯温泉から酸ヶ湯温泉へ)

空想犬。


朝と夕方に現場の仕事が入って、10時から2時頃までが自由な時間になったので、犬を連れて散歩がてら下湯ダムまで行って来た。
午前中は小雨、午後からは陽が射して、気温もちょっと上昇。
今日は雨を心配してカメラは持って行かなかった。

下湯ダムのダム湖の上流部分に広い公園がある。
ダム湖の西側に水辺公園とその上流にあやめ公園、ダム湖の東側の小高い丘が運動公園。

下湯温泉の旅館の跡地はあやめ公園の上流、荒川沿いにある。荒川の上流は城ヶ倉渓谷、酸ヶ湯温泉の温泉水が流れ込んでいる酸ヶ湯沢も城ヶ倉渓流に合流している。
あるお年寄りから聞いた話だと、昔、彼女が若かった頃、下湯温泉に対して酸ヶ湯温泉を「上の湯」と呼んでいたそうだが、なんとなくうなずける話だ。
下湯とその上流の酸ヶ湯は沢でつながっている。

そんな話を聞いたとき、「大昔の八甲田登山の出発点は、下湯のあたりかもしれないな」と、ふと思ったことがある。

狩猟登山、採取登山、信仰登山、集団の掟を破っての逃亡登山?、高い所から地理を把握しようとする俯瞰登山等、いろんな目的の山登りとそれらに適したいろんなルートがあったことだろうが、大岳の山頂近くまで明確な「筋」があるのは下湯からだけだ。

谷間の大柳辺の里から、荒川を遡り、城ヶ倉渓谷の枝沢である酸ヶ湯沢に乗り換え、ひたすら水の流れを追って上へ上へと登れば、大岳の山頂近くに辿り着く。
地図も道路も無い時代では、里から最も近くて、わかりやすい沢筋のルートなんじゃないかと思う。
北八甲田の周辺で里から八甲田大岳に直登するには、このコース以外には無いのでは。

酸ヶ湯が温泉宿としては、三百年ぐらい前からあったらしい。
それ以前は、ただの自噴している山の湯で、その場所に行ける者と獣だけが利用していたのだろう。

下湯温泉は、いまでも河原のあちこちから熱湯が噴出しているところをみると、ここも掘り当てた温泉ではなく、自噴しているところを発見されたように思える。
このあたりは、荒川、寒水沢、田茂萢沢、その他多くの枝沢が流れ込む場所で鉄砲水、洪水の危険性が考えられるので、定住の場では無かったかも知れない。

近くの尾根の平坦地に小牧野遺跡があるから、その近辺の定住者が下湯に野営したりするというのはあったかもしれない。

近世以前か、中世以前か、縄文時代か、どのくらい昔かはわからないけれど、グループで下湯に野営して、湯治をしたり狩りをしたり、木の実や山菜を採取したりという事が、長い年月あったかもしれない。

もしそうだとすれば、そのうちの何人かが沢を詰めていろんなところへ出かけ、そのうちの何人かが、今は酸ヶ湯温泉のある森に辿り着き、そのうちの何人かが、温泉を見つけ、そのうちの何人かが大岳を目指し、そのうちの何人かが鏡沼の傍らに祠を置き・・・・・・・・

延々と続くそのうちの何人かの繰り返しによって、下湯から酸ヶ湯まで踏み跡が出来、それが大昔の通常のルート(登山道)に仕上がる、なんてことは無かったろうか。

昔、そういう事実はあったか無かったかわからないが、現代になってから、何人かがそういう空想をしたことは確かだろう。
自由な発想と山歩きは似たところがあるから。

今日はワン子と下湯周辺を歩いて、サモダシ、ヌメリスギタケモドキ、ムキタケを少々いただいた。
このワン子は、この寒い時期になっても水遊びが好きで、盛んに川岸でバシャバシャ遊んでいた。

2007/10/14

机上の方法、暗中模索のキノコ採りの道

開いたナメコ。あと2~3日で腐り始める。
2万5千分の1の地形図に、キノコの姿を念じながら線を引いて、「キノコ採りの道」と名付け、その線上をシルバーコンパスを頼りに歩いてみる。
藪こぎしながら歩く、暗中模索の「キノコ採りの道」。
私のキノコ採りの方法である。

紅葉は終わりかけだが、雪を待つ森の雰囲気が、静かで心地良い。
キノコ採りもまた、ハイキングの方法なのだ。
森の宝を探し求めて歩くハイキング。

2007/10/07

キノコの森へ

ナメコ。


今日もキノコの森をめざした。
めざして、さまよい歩いた。
どこにあるのか、行ってみなければわからないキノコの森。

大量のキノコは、いつも偶然見つかる。
何気なく目をやると、そこに倒木があって、「あれ、あの倒木はどんなんだべ」と思って近づいてみると、突然、大量のキノコが出現。

疲れが抜けて、力が蘇る瞬間だ。

クルマで、林道のお目当ての場所まで行って、そこでクルマを降りて10分ぐらい薮こぎをして、一定量のキノコを採る。
そんな採り方もあるらしいが、それでは、山を歩く楽しみがない。

だいいち、そういう収穫が容易な場所は、人がたくさん集まるから、「先をこされた」というストレスが生じたりする。
先をこされたくなくて「早いもの勝ち」だと、朝も暗いうちから起きだして、疲れた体を引きずってキノコ採りに出かけなくてはいけないので、それもストレスだ。

私は、人の行かないところを選んで歩くから、静かでのんびりした「キノコ採り」が楽しめる。
いわゆる私しか知らない秘密の場所だ。

だが、私の秘密の場所に、他人の靴跡を発見したりすると、それはそれで、ちょっとしたストレスになる。
「キノコ採りで、薮こぎしてこんなに奥まで来れるのは俺ぐらいのもんだろう」という自負がちょっと揺らぐ。
「好きな人はいるもんだなあ」とため息をつく。

「沢登り」をしている登山者たちは、山のプロだから、どんなところでも歩ける。
でも彼らはキノコ採りをしない。
いちいち、キノコを探して採っていたのでは、行程を歩破するという目的を果たせないからだ。

だから、「キノコ採り」で時間をかけて、森の奥まで入る者は俺ぐらいのもんだろうと思っていたのだが・・・・・・・・

多くの「キノコ採り」は効率第一。
短時間で大量のキノコを手に入れることが最大の喜び。
だが、その喜びにひたるには、競争が激し過ぎる。

のんびりした気分で大量の美味しいキノコを手にいれるためには、時間と体力を使わなければならない。
孤独なキノコ採りのお伴は、好奇心と、宝探しをする幼児的な感受性と、迷わず怪我無くお家に帰るという大人の理性。

ところで、キノコの森はどこにあるの?
キノコが採れたところが、キノコの森さ。


大きな倒木にまあまあの量のナメコ。


ナメコ。


腐りかけのサモダシ(ナラタケ)の株。