考える 好き嫌い

 毎日の生活の中では、いろいろなことに結論をせまられることがあります。
 調べて、情報を得てから、その情報をもとにして判断を下したり、熟考してから結論を出したり。
 けっこう苦闘を強いられることもあります。

 たとえば、金銭の使い道。
 限られた収入のなかで、必要なものや、欲しいものを購入するには限界があります。
 生活必需品も、自分の欲望も無視するわけにはいきません。
 その他、仕事や交友関係や近所つきあいやと、自分が関わる関わらないに関わらず、項目をあげればキリがありません。

 判断を短時間で下す最も簡単な方法は、最も日常的な方法です。
 
 「好き嫌い」で判断するのも、ひとつの方法です。

 子どもの頃の判断基準は、「好き嫌い」でした。
 そこに、身を守ることや行動計画のほとんどがあったと思います。

 子どもの「好き嫌い」の感覚を幼稚なものと決めつける方もいらっしゃるでしょう。
 でも、私は、極めて本能的な判断方法だと思っています。
 本能に「幼稚」はありません。
 その本能で、子供は、いろんな問題に立ち向かったのですから。

 「好き嫌い」も年齢とともに成長すると思います。
 大人の「好き嫌い」の背後には理性的な思考と理性的な感情があると思います。
 経験で培われた「好き嫌い」もあるでしょう。

 大人の「好き嫌い」は重厚な判断基準です。
 優れたインスピレーションかもしれません。

 日常的な感覚程、研ぎすまされて、蓄積されて、謙虚で、大胆で、内省的なものは無いかもしれません。

 日常感覚の「好き嫌い」は判断基準の宝庫だと思います。

 物事を考えるうえで、難しい書物や書類から難しいコトバを引っ張りだすことは、考えるという行為の看板のようなものなのではないかという気がします。
 中身は、重厚な日常感覚である「好き嫌い」だと思います。

 

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