山歩きを楽しむのに理由はいらない

薮漕ぎ山歩き
山の中の、登山道の無い所をコンパスを合わせて歩き回るのが楽しい。
いわゆる「薮漕ぎ」山歩き。
地形図を眺めながら、地図上の歩くのに興味深い場所を探り、そこへシルバーコンパスを合わせて散策に出かける。

追体験
未知の山の中を歩くのは楽しいことだ。
未知なのに、どこか懐かしい。
過去の経験が、未知の山をチェックしながら、過去の喜びを追体験させているような気分。
なかなか新鮮な気分になれる。
きっと山の経験が、私を山へ誘っているのだろう。
経験が、こういう現在を決定している。
そういう自分(経験)の存在を感じながら山を歩いている。
計画通り目的地に到達できたら、それも楽しい。
計画した自分と、山の中で出会えるからだ。
 
好奇心と力
私が行く山の薮漕ぎは、殆どがネマガリダケの薮だから、かなり手強い。
体力も必要。
急斜面をネマガリダケに掴まりながら登ったりするので、全身運動だ。
マイペースでのんびりやっても、自分なりの体力の鍛錬になる。
無理だと思ったら引き返す。
実際、引き返していることの方が多い。
未知の山へ足を踏み入れただけでも好奇心的には収穫だ。
好奇心を満たして、筋力を少し付ける。
結果的に、世の中を生きていく生存力も高めているかもしれない。
好奇心を満たすことは、いろいろな力の獲得に繋がると思っている。

難儀を楽しむ知力
私の山の歩き方を、難儀ですねと言った山の知り合いがいたが、登山道を歩くにしろ登山道の無い薮を歩くにしろ、山歩きは難儀な遊び。
難儀を楽しむのが山歩きの楽しみだとさえ思っている私は、手頃な薮コースを見つけては山へ出かける。
もちろん、危険なことはしない。
危険な箇所を乗り越える山の技術を持ち合わせていないので、そういう場所は避けて通る。
岩登りに果敢に取り組む人達は、危険を乗り越える技術を楽しんでいるのだろう。
 
私にある技術は、シルバーコンパスの使い方が少々人よりも正確だということぐらい。
その程度だから、山ではその程度の行動しか出来ない。
その程度のルートを探し当て、山を散策している。
体力も、年齢からみて、人よりはほんの少しある方だから、薮漕ぎも楽しめる。
難儀な事も楽しめている。

こういう私の楽しみを疑問に思う人は、いる。
何が楽しいのだろうと怪しむ人もいることだろう。
不思議なことに、そういう疑問がよく分かる。
なによりも、一番疑問に思っているのは、当の私自身なのだから。
いつも、自問自答している。
そして、いつもその答えが「楽しい」なのだから始末に負えない。

世界の広がり
他人の楽しみを認めない人は、たぶん、想像力に欠ける人だ。
想像力は現実の世界を広げる。
世界にはいろんな人がいて、人それぞれの生き方がある。
それが見えない人は大勢いる。
自身の狭い世界観で物事を判断するのはその人の勝手。
だが、その判断を他人に押し付けてはいけない。

世界の広がりは果てしない。
その果てしなさが、山を歩いているとよく分かる。
たぶん、ゆっくり歩いているから、そのぶん世界が広がるのだろう。
こういうのを相対的って言うのかなぁ。

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