森田童子の「ぼくたちの失敗」

もし自分の人生の一時期を、映画を見るように思い返すことがあるとしたら、その一時期とは18歳から28歳ぐらいまでの10年間のことであるように思う。

私に関して言えば、そのころが一番、心と身体が激しく動いた時期だったような気がする。

なぜ、こんな感慨が湧いたかと言うと、久しぶりに森田童子の歌を聴いたからだ。

あるブログ記事から、YouTubeのサイトに導かれて、「ぼくたちの失敗」を聴いたのだった。

「春のこもれ陽の中で・・・・・」で始まる歌声に聞き入ってしまう、私と同年代の人たちが大勢いる事だろう。

森田童子は1952年生まれだと言うから、1970年代に青春を過ごした私(たち)とは、まったくの同年代と言える。

私がその時代に森田童子の歌を聴いたのは、学生寮の自室のラジオからだったと思う。

「さよなら ぼくの ともだち」という歌声が印象的だった。

何度も繰り返されるこのフレーズのように、この頃は多くの若者が出会いと別れを繰り返した。

「君のやさしさに うもれていたぼくは 弱虫だったんだよね」

当時の若者のなかには、こういう気分を抱きながら青春の日々を過ごしていた人たちが少なからずいた事だろう。

だが、森田童子の歌の詩が、当時の若者の心情を表現していたとは思わない。

荒々しい心情から解かれたときの、静かな隠れ家のような空間性が、森田童子の歌を被っていたように思える。

その被いの下に、彼女の歌を聴く若者たちが身を潜めたように思う。

森田童子の歌っている世界は、現実の生活に寄り添っている牧歌的な物語のようである。

歌のムードと彼女の容姿の雰囲気が、その物語を過去に疑似体験したような懐かしさを醸し出している。

私が森田童子の歌から感じるのは、「時代の現実からの放浪」というような漠然とした想いだ。

現実の世界の進行と同時に、当時の若者の脳裏では牧歌的な放浪生活も進行していたように思う。

そして、ため息を吐くように歌う彼女の歌い方が、現実の世界と牧歌的な放浪生活の境目をぼかしていたのだ。

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