何かをする

部屋の掃除
子どもが何かをする。
世の中には、何かを言おうとしている人は大勢いるが、何かをしようとしている人は案外少ない。

だが、私たちは常に何かをしている。

小さな子どもは「何をしているの?」と質問することが多い。

愛らしい笑顔に、大人は丁寧に答えなければならない。

小さな子どもは「何を言っているの?」と尋ねることはあまり無い。

子どもにとっては、意味よりも行動のほうが重要なのだ。

子どもは、いろいろな行動から意味を感じとっている。

部屋で物を運んでいる母親を見て子どもは「何をしているの?」と尋ねる。

「部屋を掃除しているの。掃除するときれいになるでしょう。あなたも、部屋がきれいな方が良いでしょう。だから遊んで散らかしたら後片付けしてね。そうすれば、また遊べるのよ。」

小さな子どもは大人の行為を納得する。

私たちが常にしている何かは、日常の習慣であることが多い。

日常生活の細々とした行為を私たちは淡々とこなす。

小さい子どもに尋ねられでもしない限り、私たちはそのことに対して何も言わない。

でも大人は、ときおり日常生活の中に、何かを見つけて、それを言葉にすることがある。

台所のゴミ箱にあふれた生ゴミに目をやって溜め息をつく。

我が家の財政も世界の資源もいつかはピンチね、と。

殺人事件のニュースを見ながら、「このままでは恐ろしい世の中になってしまう」なんてね。

それを言う事で、日常生活の枠の外へ「非日常的な何か」を放り投げているのだ。

かすかな物音が、彼女の生活の枠の外から聞こえてくる。

そのかすかな手応えが、何かを言ったという成果になって彼女を満足させる。

だが、その満足は、人と共有できない満足だ。

共感もなければ賛同もない。

小さな子どもは、部屋の掃除をしている母親の説明に共感し賛同する。

小さな子どもの共感と賛同を得たことで、母親は、自分の言ったことを自分自身に生かしている。

何かをする、とは日常生活に新しい意味を見つけることかも知れない。

新しい意味を見つけることで、日常生活の面白さを発見できる。

その面白さは、個人の日常の枠を超えて共感を得ることができる。

その面白さは注目に値する。

日常生活の細々とした行為を、小さなこどものように視点を変えて見れば、「何かをする」ことに対して理解が深まる。

子どもは物の見方の天才かも知れない。

遊ぶように家事をこなし、家事をするように自然を観察し、買い物に出かけるようにWeb情報の品定めをする。

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