「ニワウルシ」という木の名前を知ったら、ニワウルシの木が目に入り出した
平和公園のニワウルシの大きな木。 |
近所の公園で草のように生えている小さな木の名前がニワウルシであるとわかったのは、先日の記事で書いた通り。
その記事で、成長したニワウルシの樹木をこの辺では見かけたことが無い、と書いた。
が、近所のあちらこちらに、ニワウルシの成長した木が見つかった。
木の名前を知ったことで、その木に対する注意力が増したのだろう。
平和公園にあるニワウルシの木は、公園樹として植えられたものなのだろう。
かつては、ニワウルシの木は、公園樹として採用されていたのだから。
近所の小学校の裏庭に成育しているニワウルシは、自生したものだと思われる。
生えている位置が、他のプラタナスの並木と違って、歩道すれすれだ。
その生え具合は、下の写真を見ても明らかなように、人の手によって植えられたものでは無いことを示している。
その対象に興味を持つから、その対象の名前を知りたくなる。
名前を知ると、よりいっそう、その対象に対して注意力が働くようになる。
山の名前でも、人の名前でも、植物でも昆虫でも、名前を知ることによってそういう「力」が働くようになる。
物事をよく理解するためには、その物事の「名称」を知ることが大事なのだな。
「ニワウルシ」の名前を知ることによって、閉じられた世界が開いたように。
名前を知るということは、その名前の由来や意味について興味を持つことなのだろう。
そうして、知らず知らずのうちに、その対象に接近していく。
好奇心が、より強く働けば働くほど、その対象に対する理解は深まる。
名前を知るということは、その対象と向き合うための第一歩と言える。
その対象に興味を持つから、その対象の名前を知りたくなる。
名前を知ると、よりいっそう、その対象に対して注意力が働くようになる。
山の名前でも、人の名前でも、植物でも昆虫でも、名前を知ることによってそういう「力」が働くようになる。
物事をよく理解するためには、その物事の「名称」を知ることが大事なのだな。
「ニワウルシ」の名前を知ることによって、閉じられた世界が開いたように。
名前を知るということは、その名前の由来や意味について興味を持つことなのだろう。
そうして、知らず知らずのうちに、その対象に接近していく。
好奇心が、より強く働けば働くほど、その対象に対する理解は深まる。
名前を知るということは、その対象と向き合うための第一歩と言える。
平和公園の北側の一画にニワウルシが5〜6本林立している。 |
小学校の裏庭のニワウルシの木。植えられたプラタナスの木が柵から離れているのに対して、ニワウルシは柵すれすれの場所で成育している。どこからか種子が飛んできて野生化したのだろう。 |
小学校裏庭のニワウルシは、知らぬ間に大きくなってしまったようだ。 |
伐採された街路樹の「植樹スペース」にちゃっかり入り込んだニワウルシ。まだ小さい。取り払われないと、このまま大木になるかもしれない。 |
松原公園のニワウルシの木肌。 |
上の写真の木の根もと。大きいニワウルシの根元には、ニワウルシの幼木がたくさん顔を出している。 |