雪囲いされた気分の晩秋の空
雪囲いの板越しに空を見上げる。 |
明日からは、秋が退いて冬がやってくる。
公園の、雪囲いが済んだツツジの脇から雪囲いの板天井を眺める。
まるで、ツツジと一緒に雪囲いされた気分。
板材の質感のせいか、この中から見上げる空は、優しい光を放っている。
この空間はまだ寒いが、雪が降って積もるようになると、外気よりちょっと温かいかもしれない。
今年は、雪囲いの天井が高めに作られている。
そのおかげで、ツツジが窮屈そうに見えない。
街に、野良犬の姿は見かけないが、もし、野良犬がいたら 、ここは絶好の隠れ家になる。
今度は、ツツジの雪囲いの中に潜む野良犬の気分になる。
ツツジの茂みに守られて、野良犬なら充分越冬できる。
野良犬は、街なかの人家やゴミ捨て場の周りをうろうろして、残飯を食べて生きている。
街を離れないのは人恋しいからか、生きるためか。
そんな野良犬が、雪囲いの下で不安な夜を眠る。
まるで古代人のように。
野良犬が私たちの祖先のような「棲み方」をしているとしたら、雪囲いの発想は、家屋の発想の原形かも知れない。
一番はじめに屋根があった?
街のどこかに、私たちの祖先とつながる何かを感じることがある。
雪囲いの中に潜って、野良犬と一緒に暮らしてみたい気分。
そこから見上げる空は、遠い古代の空かも知れない。
「人が生きている」という存在は、未来にはつながらないかも知れないが、古代とのつながりは断ち切れない。
そんなこんな思いで、天井板の下にたたずんでいると、ほんとうに雪囲いされた気分。
いろいろな気分に襲われる、秋の最後の空。
ツツジの雪囲いの板天井。 |