肉体を道具(物質)として客観視する意識の存在
昨夜は不思議な夢を見た。
たぶん、昨日の胃内視鏡検査の影響からだろう。
胃内視鏡検査の最中に、私はモニターに映し出された自分の胃の中の様子を凝視していた。
そのフィジカルな空間を、恐る恐る眺めていた。
だが、夢の中に胃の画像は出てこない。
久しぶりに、川でカヌー(カヤック)に乗っている夢だった。
現実に、15年ほど前まで、私は、少々ベテランのカヤックの漕ぎ手だった。
カヤックをやめてから久しいのだが、夢の中では、またカヤックを始めようとしていた。
しばらくぶりのカヤック漕ぎだったから、恐怖感もあって、なかなかうまく漕げない。
バランスを崩して水の中へひっくり返ってばかりだ。
周囲のカヤックの乗り手たちから、あきれ顔をされていた。
パドルもカヤックも一流品だったが、 乗り手は初心者だと、みんなあきれ顔なのだ。
そこで、誰もいない場所で特訓して、昔の私に復活しようと、流れの穏やかな川の流域にカヤックを担いで歩いて来た。
そこは流れの無い、カヌー乗り達から「静水」と呼ばれている状態の場所だった。
私は初心者の頃を思い出して、トレーニングに励んだ。
すると、昔のカンを取り戻したというのか、だんだん思い通りに操作できるようになった。
パドル(櫂)もカヤック(舟)も、もう自由自在だと感じた。
パドルもカヤックも一流品だったが、もう昔のものなので、だいぶくたびれている。
これは年齢相応の肉体なのだ、と思っている自分がいた。
そう思ったとき、パドルは自分の腕と手に、カヤックは自分のボディに変わっていた。
私は、自分の手でバランスと推進力を得ながら、自分のボディに乗っていたのだ。
私の肉体を操っている、肉体から離脱した私という存在。
そこで、目が覚めた。
布団の中で、不思議な夢だったと思うのと同時に、「夢の意味」を理解したような気になった。
夢というものは、現実離れした変なものばかりなのだが・・・。
私がこの夢を「不思議な夢」 と感じたのは、「夢の意味」を理解したような気になったからだ。
実に暗示的な夢だったから、「不思議な夢」と感じた。
私は胃内視鏡検査で自分の胃の中をモニターで見ながら、自分の胃に対する現実感を味わっていた。
そして、自身の胃の中を 眺めている自分を、意識の端で、夢のようだと感じた。
しかし、どれも現実なのだ。
私の胃の中も、私の意識も。
私という肉体と、私という意識。
ひょっとしたら私は、モニターの中に、私という意識から切り離された自身の肉体を見ていたのかも知れない。
胃内視鏡検査の最中に、私は肉体を客観視している醒めた意識を感じていたような気がする。
たぶん、それが夢にあらわれたのだ。
それは、肉体を道具(物質)として客観視する意識の存在だ。
スピリチュアリズムとか、 心霊主義とか、そういうことはよく解らないが、自身の肉体から離脱して自身を操り自身を見ているような、自身の意識の存在を感じたような気がした。
胃内視鏡検査のモニターを見て、そう感じ、カヤックの夢を見て、そう体験した。
高齢になって老いた肉体を、私は客観視しながら自身の肉体とつきあっていかなければならないことは、夢ではなく、現実のことなのだから。
たぶん、昨日の胃内視鏡検査の影響からだろう。
胃内視鏡検査の最中に、私はモニターに映し出された自分の胃の中の様子を凝視していた。
そのフィジカルな空間を、恐る恐る眺めていた。
だが、夢の中に胃の画像は出てこない。
久しぶりに、川でカヌー(カヤック)に乗っている夢だった。
現実に、15年ほど前まで、私は、少々ベテランのカヤックの漕ぎ手だった。
カヤックをやめてから久しいのだが、夢の中では、またカヤックを始めようとしていた。
しばらくぶりのカヤック漕ぎだったから、恐怖感もあって、なかなかうまく漕げない。
バランスを崩して水の中へひっくり返ってばかりだ。
周囲のカヤックの乗り手たちから、あきれ顔をされていた。
パドルもカヤックも一流品だったが、 乗り手は初心者だと、みんなあきれ顔なのだ。
そこで、誰もいない場所で特訓して、昔の私に復活しようと、流れの穏やかな川の流域にカヤックを担いで歩いて来た。
そこは流れの無い、カヌー乗り達から「静水」と呼ばれている状態の場所だった。
私は初心者の頃を思い出して、トレーニングに励んだ。
すると、昔のカンを取り戻したというのか、だんだん思い通りに操作できるようになった。
パドル(櫂)もカヤック(舟)も、もう自由自在だと感じた。
パドルもカヤックも一流品だったが、もう昔のものなので、だいぶくたびれている。
これは年齢相応の肉体なのだ、と思っている自分がいた。
そう思ったとき、パドルは自分の腕と手に、カヤックは自分のボディに変わっていた。
私は、自分の手でバランスと推進力を得ながら、自分のボディに乗っていたのだ。
私の肉体を操っている、肉体から離脱した私という存在。
そこで、目が覚めた。
布団の中で、不思議な夢だったと思うのと同時に、「夢の意味」を理解したような気になった。
夢というものは、現実離れした変なものばかりなのだが・・・。
私がこの夢を「不思議な夢」 と感じたのは、「夢の意味」を理解したような気になったからだ。
実に暗示的な夢だったから、「不思議な夢」と感じた。
私は胃内視鏡検査で自分の胃の中をモニターで見ながら、自分の胃に対する現実感を味わっていた。
そして、自身の胃の中を 眺めている自分を、意識の端で、夢のようだと感じた。
しかし、どれも現実なのだ。
私の胃の中も、私の意識も。
私という肉体と、私という意識。
ひょっとしたら私は、モニターの中に、私という意識から切り離された自身の肉体を見ていたのかも知れない。
胃内視鏡検査の最中に、私は肉体を客観視している醒めた意識を感じていたような気がする。
たぶん、それが夢にあらわれたのだ。
それは、肉体を道具(物質)として客観視する意識の存在だ。
スピリチュアリズムとか、 心霊主義とか、そういうことはよく解らないが、自身の肉体から離脱して自身を操り自身を見ているような、自身の意識の存在を感じたような気がした。
胃内視鏡検査のモニターを見て、そう感じ、カヤックの夢を見て、そう体験した。
高齢になって老いた肉体を、私は客観視しながら自身の肉体とつきあっていかなければならないことは、夢ではなく、現実のことなのだから。