カッコいい女
自分にとって1970年代のカッコいい女と言えば、そのひとりに歌手のりりィが思い浮かぶ。
ギターを抱えて、「わたしは泣いてます・・・・」と独特のかすれ声で淡々と歌うりりィの姿は、当時の私には印象深いものだった。
金色に染めた長い髪と、ちょっと気怠そうな歌いっぷり。
謎めいた存在感。
作詞作曲りりィで歌もりりィ、というスタイルがカッコ良かったのか。
そういう才能を持った女が、堂々と自分の歌を歌っているのが、最高にカッコいいことだと思ったのか。
しかし、「私は泣いています」の歌詞は、自立できる強さを持った女の歌ではなかった。
どちらかというと、男を頼る弱い女のイメージが雰囲気的に濃厚なのだ。
強い女が、強い女の歌を歌っても、世間には歓迎されなかったかもしれない。
男に従う女の歌を、淡々と明るい曲調で歌うのが、りりィのしたたかさだったのかも。
この歌を八代亜紀が歌っているのを、きいたことがある。
八代亜紀の歌をきくと、「私は泣いています」は泣いている女を装って巧みに男を操る女の歌に聞こえてくるから面白い。
女の強さは様々、男の強さも様々。
そのりりィが、つい最近テレビドラマに出ていたらしい。
あの「半沢直樹」の母親役で。
このことは、テレビドラマが終わってだいぶ経ってから知った。
ドラマも3回ぐらいしか見ていないから、父親役の鶴瓶は記憶に残っていても、母親役の女優の顔の覚えは無い。
事前に知っていれば、もっとしっかり見るのだった。
りりィは、今は女優で活躍しているらしい。
ところで「私は泣いています」を大ヒットさせたりりィだが、こんな歌も作っていた。
その歌の題名は「死の歌をつくる時」。
ちょっと浅川マキっぽいのだが。
歌詞を抜粋すると。
一番歌詞の気に入った文句。
二番歌詞の気に入った文句。
死ぬ歌をつくっても 私は生きている
目をとじていても 寝てはいない
本当に死ぬ時は 歌はつくらない
このカッコ良さは、なにか懐かしい。
70年代風のハードボイルドな味付け。
感情に流されない強い精神力。
電熱コンロのニクロム線の焼けつく匂いのような。
ギターを抱えて、「わたしは泣いてます・・・・」と独特のかすれ声で淡々と歌うりりィの姿は、当時の私には印象深いものだった。
金色に染めた長い髪と、ちょっと気怠そうな歌いっぷり。
謎めいた存在感。
作詞作曲りりィで歌もりりィ、というスタイルがカッコ良かったのか。
そういう才能を持った女が、堂々と自分の歌を歌っているのが、最高にカッコいいことだと思ったのか。
しかし、「私は泣いています」の歌詞は、自立できる強さを持った女の歌ではなかった。
どちらかというと、男を頼る弱い女のイメージが雰囲気的に濃厚なのだ。
強い女が、強い女の歌を歌っても、世間には歓迎されなかったかもしれない。
男に従う女の歌を、淡々と明るい曲調で歌うのが、りりィのしたたかさだったのかも。
この歌を八代亜紀が歌っているのを、きいたことがある。
八代亜紀の歌をきくと、「私は泣いています」は泣いている女を装って巧みに男を操る女の歌に聞こえてくるから面白い。
女の強さは様々、男の強さも様々。
そのりりィが、つい最近テレビドラマに出ていたらしい。
あの「半沢直樹」の母親役で。
このことは、テレビドラマが終わってだいぶ経ってから知った。
ドラマも3回ぐらいしか見ていないから、父親役の鶴瓶は記憶に残っていても、母親役の女優の顔の覚えは無い。
事前に知っていれば、もっとしっかり見るのだった。
りりィは、今は女優で活躍しているらしい。
ところで「私は泣いています」を大ヒットさせたりりィだが、こんな歌も作っていた。
その歌の題名は「死の歌をつくる時」。
ちょっと浅川マキっぽいのだが。
歌詞を抜粋すると。
一番歌詞の気に入った文句。
死ぬ歌をつくっても 私は生きてる
泣く歌をつくっても 泣いてはいない
泣く歌をつくっても 泣いてはいない
二番歌詞の気に入った文句。
死ぬ歌をつくっても 私は生きている
目をとじていても 寝てはいない
本当に死ぬ時は 歌はつくらない
このカッコ良さは、なにか懐かしい。
70年代風のハードボイルドな味付け。
感情に流されない強い精神力。
電熱コンロのニクロム線の焼けつく匂いのような。