つがる市稲垣町にある巨樹「一本タモ」の幹周はヤチダモとして日本一

一本タモ。

五所川原市から十三湖方面に向かう道がある。
岩木川の左岸の堤防道路で、県道43号線(五所川原車力線)だ。
岩木川沿いのその道を下流に向かって北上する。
細い道路で、車線も明確ではないから、猛スピードの対向車に注意しながら運転しなければならない。

ミスをすると、道路の外の中空に落輪する。
運が悪いと、堤防の斜面上を転げ落ちる。
かつて、そんな事故が何件もあったらしい。

つがる市の旧稲垣村地区に入る。
県道43号線と、つがる市役所稲垣町支所方面に向かう道路が交わるT字型の交差点がある。
その交差点の右手(東側)に、上の写真のような赤い鳥居と大きな立木が見える。

県道の交差点からは、ちょっと高い位置に鎮座している。
ここが地元の人達から「一本タモ」と呼ばれている場所。
路線バスのバス停の表示も「一本タモ」。
ここに「一本タモ」と呼ばれているヤチダモの巨樹がある。

鳥居のすぐ後ろの、背の高い大きな木がよく目立つので、この木が「一本タモ」と思われがちだが、そうではない。
鳥居の奥に小さなお堂があって、その後ろにある幹の太い老木が「一本タモ」。
赤く塗られた木の柵で囲まれてある。

奇妙な石碑。

 鳥居の前には細くて背の高い石碑が立っている(上の写真)。
そこに彫られている文字がちょっとおかしいと言うか面白い。
「一本」は漢字なのだが、その下の○○という二文字が不明だ。
ハングル文字のような、日本固有の文字(?)と言われている「神代文字」のような・・・。
神代文字は偽物と言われているから、たぶんハングル文字なのだろう。

「イ・サン」という人気韓国ドラマに「茶母(タモ)」という仕事についている女性が登場する。
「茶母(タモ)」はハングル文字で、「다모」と書くらしい。
発音が同じであるなら、この石碑での一本タモは「一本다모」という表記でなければならない。
写真の石碑は「一本다모」とは若干異なる表記。

ということよりも何よりも、石碑の表記がどうして「一本○○」なのか。
それについての説明はどこにもない。

さて、この「一本タモ」の木、樹種はヤチダモで、幹周りは7メートル60センチ、樹高は14メートル。
1988年に環境省が行った巨樹巨木林調査結果を示すデータベースに、そう記載されている。

推定樹齢は千年で、上記サイズは、ヤチダモとして日本最大級であると言われている。

案内看板。

「一本タモ」についての、上の看板の説明書きを抜粋すると下記の通り。

旧稲垣村の歴史は遺跡の発掘により平安時代からと明らかにされている。その頃から、風雪に耐えてこの村の繁栄を見守ってきたであろう。この老樹齢約壱千年におよぶといわれている。
今から約三百六十年前(津軽二代藩主信枚公時代)津軽平野北部の当地方にはじめて開拓の手が入った頃、荒野の中に巍然として聳えていたと伝えられ平坦な荒野にそそり立つ姿はこの地開拓の恰好な目標であり、やがて開拓民の崇拝の的となったと考えられる。
ヤチダモの特性である幹のこぶは、一見婦人の乳房に似ていることからいつの頃から子孫繁栄のシンボルである乳の神として信仰を集めてきたこの老樹をつがる市指定文化財とし市民の郷土愛の象徴として育み、将来とも市のシンボルとして敬愛されてゆくことを願い、保護していくものである。

コンクリート状のもので補強手当。

「一本タモ」は、現状では、幹は太いが、内部は洞になっているようだ。
上の写真のように、コンクリート状のものでカバーされていて、雨や雪が内部に入り込まないように保護されている。
近づいて見ると、満身創痍の感がある老樹である。
木肌は老いていても、葉が若々しいので、そうであるうちは、まだまだ 「巍然(ぎぜん)として聳えて」生き続けることだろう。

ヤチダモのヤチは谷地のことらしい。
ヤチダモは、河岸、湿地の辺縁など、肥沃な湿潤地に生育するから「谷地ダモ」と呼ばれるようになったという。
まだこの辺りが河川敷の延長で、岩木川の氾濫によって浸水を繰り返していたころからの「一本タモ」なのだ。

国土交通省のデータ「水害と治水事業の沿革」によると、岩木川の稲垣築堤の着手は大正13年6月となっている。
それまで、「一本タモ」周辺には 本格的な堤防が無かったことになる。
同データの「岩木川水害史(明治以前)」には以下のような記載がある。
以下抜粋。

寛永16年(1639)
7月5日~8日まで雨降りやまず、下の切原子より下の通り金木辺まで破損、田畑残らず泥になり転退及ぶ。前代未聞の洪水。

上記の大洪水や、数々の洪水に耐えて、千年近く生き延びてきた樹木である。
そんな偉大な生物は、この周辺では「一本タモ」しか存在しない。
地区住民の信仰の対象として、充分すぎる来歴だ。

日本一の太い幹。

太い枝を支柱で支えて、枝が折れないようにしてある。
堤防の上から一本タモを見る。

「一本タモ」が立っている場所は、堤防を山に例えると、山の中腹の狭い平地である。
車道は、堤防から「一本タモ」の中腹地のちょっと下まで緩やかに下りている。
そして、T字型交差点を過ぎ、また緩やかに上がって堤防道路にもどる恰好になっている。
「一本タモ」の立ち位置が、堤防の山腹であるのは、 もともと「一本タモ」は川岸の小高い丘のような場所に立っていたと考えられる。
これが幾度もの洪水に耐えて千年近く生き延びた所以かもしれない。
大正13年の築堤の際は、この丘を堤防の一部に取り込んで工事を行ったのではあるまいか。

川が氾濫して、辺り一帯が冠水したとき、丘の上の「一本タモ」だけが濁流に浮いて「巍然(ぎぜん)として聳えて」いたことだろう。
暗雲の下での、その神々しい姿が目に浮かぶようだ。

「一本タモ」の側の堤防の上に登って、岩木川の方を眺めると、河川敷は農地になっている。
その農地に囲い込まれるように、「一本タモ」の東側に小さな森が残っていた。
往事の河畔林の名残かもしれない。
ここだけ森を残したのには、何か訳があるのだろうか。
この森と「一本タモ」の因果関係は・・・・などと想いを巡らすのも楽しい。

犬の散歩に寄った「稲垣河川公園」からも、この森が見渡せた。
実り始めた稲穂の海に浮かぶ島のようであった。

一本タモから堤防を隔てた場所にある河畔琳の名残の森。周囲の河川敷は、農地になっている。
森の上の青空。
河川公園から河畔林の名残の森を眺める。稲穂の海に浮かぶ島みたいに見える。

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