ずっと使われてきた言葉の周辺に、身近な風景のなかに、何かがある。

何かがある。


あるブロガーが、メールで私に問い合わせてきた。

自分はいつも、自分には何かがあると思っている、と。
自分には、言葉で表現する才能や、物事を見極める才能があると、いつもそう思いながらブログを書いているのだと。
そういう態度について、あなたはどう思うかという内容だった。

年若いブロガーは、老齢になりつつある「公園の散歩者」に、暇つぶしの質問を気まぐれに投げかけてきたのだ。

もちろん、そうだろう。
ブログで三千近くの記事を書き続けていること自体、立派な才能だと思うね。
そうやっていれば、独自の視点が生まれ、その人にしか書けない独自の記事が生産される。

だけど、そんなことがどうかしたのかね。
みんな、そうやって生きている。
それぞれが、それぞれの才能で、それぞれの人生に対処しているのさ。
 
特別なことは何もない。

みんな自分を特別な存在だと思いがちだが、そんなことはない。
それぞれが、独自な存在であるだけさ。

若いブロガーは、少しがっかりしたようだった。
返事のメールに、彼独特の「節」が欠けている。
老人は若者を育てる義務がある、とでも思っているのか。
自分を見つめすぎると、他のことが目に入らなくなる。
それも、独自なことなのだが・・・・。

何かがあった。

私は「自信」ということについて考えた。
「自信」ってなんだろう。
自信とは、自分を信じること。
これでは自己満足でしかない。

自分に目を向けてばかりではなく、自分のまわりに目を向けたらどうだろう。
自分に何かがある、ではなく、自分のまわりに何かがあるという見方。

自分のまわりはものすごく広い。
その世界に踏み込むには、「自分」を外すしかない。
冒険の旅に出るには、自己満足な自分はお荷物でしかない。

そうやって自分を外すと、足元や街の風景から何かが見えてくる。
「そこに、何かがある」と思えるようになる。

そういう発見のできる自分を見つけることが、「自信」につながるんではないだろか。
「自分」を外すことで、まわりと、そのまわりのなかにいる自分が見えてくる。

才能とか能力なんて関係ないね。
常識とか世間体とか、「既製品」にばっかり目がいってるから、自分が特別な存在に思えてくるのだよ。

特別な存在とは、あなたが新発見する何かのことさ。
それが、あなた自身であるかも知れないけど・・・。

「まわりには、何かがある」のだからね。

若いブロガーは言う。
「それって、ギマン的レトリック。もうオワコンだね。」

若者が使うネットスラングの、音の響きは斬新だ。
でも、それだけ。
そこには何もない。

「何かがある」のは、ずっと使われてきた言葉の周辺だね。
その世界に、自分を外して入ってみようと、いつも思っているのさ。

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