雪景色は、成熟し続けて滅びる樹木の姿を際立たせる
ケヤキ広場。 |
青森市内に、昨夜から今朝にかけてまとまった降雪があった。
この冬はじめて、街が白く雪におおわれた。
公園の裸木は、雪の花ざかり。
音のない公園の静かな賑わい。
世俗を離れた風雅な宴会のことを「清宴」という。
世俗の真っ只中の公園で、透明感あふれる清宴が繰り広げられている、という感じ。
公園の散歩者は、年毎に描き換えられる新しい絵を見ている。
公園の樹木は、年々姿を変えるから、公園の冬の風景は、年々変わる。
散歩者も年々変わる。
年老いていく。
雪の中で、自分の老いに気づく。
自分の老いを思い知る。
長寿の樹木からみれば、人とは、なんとはかない生き物であることか。
だが、樹木の物差しで人を見ることはできない。
人をみるのは、生きている人の目。
人は、自身のはかなさを「樹木の目」では見ない。
街の風景や社会の活動や他人との交友によって、「人のはかなさ」が消されていくから。
何かを生産し続ける人は、老いをはかないとは感じない。
ケヤキの樹影。 |
雪をかぶったケヤキの裸木。 |
風景に「はかなさ」を感じること自体、自身が強い生命力を持っている証と思っている。
そのことを、俳句にしたり歌にしたり詩にしたり。
そうすることで、自身のはかなさを突き放す。
お酒を飲んで、騒いで忘れる。
また、次の雪が降る。
その枯れた景色を見て、「人生は、はかない」なんて、ちょっと思う。
でも、仕事に熱中したりスキーをしたりして、そのことを忘れる。
公園のカツラ並木。 |
枝についているカツラの果実の上にも雪が積もった。
そのおかげで、果実の成熟が進む。
雪が、果実の熟成を促しているのだ。
雪が、果実の熟成を促しているのだ。
まだ青い実がだんだんと熟して、紫黒色(しこくしょく)に変わり、厳冬の雪の上に種を散らす。
樹木には、はかないなんていうイメージは無い。