芭蕉の劇場「神垣やおもひもかけずねはんぞう」

「笈の小文」には、この句の前書きは書かれていない。
ネットで調べていると、「芭蕉翁略伝と芭蕉連句評釈」という「書物」を見つけた。
「幻窓湖中 著(他)」とある。

その書には、前書きとして、次の言葉が添えられている。

「十五日、外宮の館といふ所にありて」

神垣やおもひもかけずねはんぞう
松尾芭蕉

「笈の小文」は、芭蕉が書いた紀行文と「句」を、芭蕉の没後、門人の河合乙州(おとくに)が編集し、1709年に刊行したもの。

水戸藩士である幻窓湖中の「芭蕉翁略伝」は1845年刊。

上記句の前書きを、芭蕉が実際書いたものかどうか、私には調べようもない。

「芭蕉翁略伝」にある前書きの「十五日」とは陰暦の2月15日のことと思われる。
その日は、釈迦入滅の日。
涅槃会(ねはんえ)が行われる日である。

その日、芭蕉は伊勢神宮の「外宮の館」というところで、掲げられた涅槃像(ねはんぞう)の絵を見たのだろう。
神宮が仏道を排除していると芭蕉は思っていただけに、意外な思いにとらわれて句に詠んだと思われる。

「芭蕉翁略伝」にある前書きに「外宮の館」と書かれているから、芭蕉は神域で「ねはんぞう」を見たことになる。
その驚きが句にあらわれているので、「芭蕉翁略伝」にある前書きは、「句」に合致していると思う。

「芭蕉は生涯に六度、伊勢参りをし、伊勢人との 交流は深く俳諧興行もしばしばおこなわれた。」と言われている。
出身の伊賀上野と、伊勢神宮とは比較的近い土地柄なので、幼少の頃にも家族で参拝したことがあったかもしれない。

なぜこんなにも、芭蕉は伊勢神宮が好きなのだろう。
以下は、あまり根拠の無い、私の「空想」である。

「笈の小文」の旅のスタートにあたって、芭蕉は「旅人と我が名呼ばれん初時雨」と「劇的」な句を詠んだ。

芭蕉は、江戸・深川から伊賀・上野の生家にたどり着くまでに、私が「劇的」だと感じた以下の句を詠んでいる。
「劇的」とは、劇を見ているように緊張や感動をおぼえること。

「旅人と我が名よばれん初しぐれ」
「京まではまだ半空や雪の雲」
「星崎の闇を見よとや啼く千鳥」
「冬の日や馬上に氷る影法師」
「箱根越す人もあるらし今朝の雪」
「旅寝して見しや浮世の煤払ひ」
「旧里や臍の緒に泣く年の暮」

これらの句は、演劇的であると同時に絵画的でもあると私は感じている。
芭蕉の句に、そういう感想を抱いていくうちに、私は芭蕉を「劇場」の詩人ではないかと考えるようになった。
私が考えた「劇場」とは、芭蕉が用意し演出した「劇場(情景)」に、観客(読者)の視線(イメージ)を、言葉によって誘導しようとする芭蕉の試みとでも言おうか。

その「劇場俳句術」を推し進めている旅の途上で、芭蕉は伊勢神宮という巨大な「劇場」に出会ったのだ。
前回でも書いたように、伊勢神宮は、神の存在を示す巨大な「劇場」である。
神の存在を示すための様々な儀式を完璧な演出で行う大空間。
浮世から遠く隔たった厳かさと清らかさに、「劇場」の詩人は、深い憧憬を感じたのかもしれない。

神の存在を見事なまでに演出しているその「劇場」を参拝することによって「劇場」の詩人は、自らの演出技術を高めようとしたのではあるまいか。

芭蕉が神宮を参拝することで、緻密で壮大な「劇場(天空)」と、個としての芭蕉の「劇場(地)」との対比が感じられて面白い。
そのように芭蕉が、神宮の空間に身をゆだねて、演じているのかも知れない。

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