芭蕉、吉野で花見する

旅の途上句を詠みながら、吉野に着いた芭蕉は、花見に打ち興じる。

桜がりきどくや日々に五里六里
松尾芭蕉

「桜」と前書きがついている。
「きどく」とは、奇特(きとく)。
「きどく」を「感心なさま」という意味で、この句を読んでみる。
すると、
(1)「桜狩のために、毎日、五里六里と歩き回っている。まったく感心なことだ」ということになる。

奇特には、もうひとつ意味がある。
「不思議なさま」や「不思議な効力」という意味。
そういう意味合いで、この句を読むと。
(2)「毎日五里も六里も平気で歩けるなんて、これも桜の不思議な効力のせいなのかな」となる。

(1)は、「きどく」の主体が、動き回る芭蕉。
(2)は、「きどく」の主体が、各地で一斉に咲き誇る桜。
(2)のイメージの方が面白い。


日は花に暮てさびしやあすならふ松尾芭蕉

「あすならふ」とは翌檜(あすなろ)のこと。
翌檜は、ここ青森では「ヒバ」という。
北方ではヒバなのだが、南の地方ではアスナロと呼ぶらしい。
木材としては、北方系のヒバの方が、南方系のアスナロよりも、耐久性・耐水性に優れている。
もちろん、桧よりも、ずっと優れているという。
ただ、桧は、見た目が良い。

それは、さておき。
 
桜の花を、見回っていると、いつの間にか日が暮れてしまった。
夢中になって歩き回っているうちに、アスナロの林に迷い込んだ。
日暮れ時の、黒々としたアスナロ林の寂しさに出くわして、花から醒めて現実に戻ることが出来た。
なんてイメージは、どうだろうか。


(あうぎ)にて酒くむかげやちる桜
松尾芭蕉

「かげ」とは、姿や形の意。
はらはらと散る桜の花びらを、扇子を広げて受け止めてみた。
その姿が、酒を酌む格好に似ている。

この句は、芭蕉の句のなかでは、切れ字の「や」に到達するまでが長い。
『扇にて酒くむかげ「や」』と絵画的なショットのあとに、「ちる桜」とストンと落ちる。
これが、「や」で区切られた前半よりも、短い後半の余韻を高めていると思う。
また、前半の「宴に興じている様」的シーンと後半の「祭りの終わり」的シーンが対比的で面白い。

芭蕉と杜国(とくに:愛弟子)が扇子片手に興じている様が目に浮かぶようだ。
二人で、能の真似事をしていたのだろうか。
そんな戯れも、「ちる桜」なのである。

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