「物の名を先づとふ芦の若葉哉」松尾芭蕉

物の名を先(ま)づとふ芦(あし)の若葉哉
松尾芭蕉

この句の前書きに「龍尚舎」とある。
芭蕉が「龍尚舎」というサロンのなかで詠んだ句なのだろう。
世間に向かって投じられた「句」、一般の読者に対して開かれた「句」では無いようだ。
内輪での会話的な「句」という感じが濃い。

ということは、イメージが広がらない「句」。
芭蕉によく見られる「天」と「地」の対比も、遠近感覚も無い。

私たち一般の読者には、あまり面白味の無いものである。

芭蕉が、一般読者を対象にして作った「句」と、サロンのメンバーを対象にして作った「句」とでは、句の雰囲気がずいぶん違うものになっている。

「旅人と我が名呼ばれん初時雨」は、一般の読者のイメージを大きく広げるような「句」の代表格だと思う。
地上の「旅人」と遠い天から降ってくる「初時雨」の対比も鮮やか。
その中での「我が名呼ばれん」は浮き世に対する宣言のように聞こえる。

一方、サロン的な「句」の代表格のような「物の名を先づとふ芦の若葉哉」は「句会」クラブの内へと潜行して、一般の読者の関心を拒むところにクラブ独特の存在意義があるように思われる。

緑初々しい「芦の若葉」が、それを眺めている人に、この物はなんという名前であるかと真っ先に問いかけているようなイメージが思い浮かぶのだが・・・・・。

芦原で芦の若葉が風にそよいでいるようなイメージは広がるけれども、「この物の名前は?」と問うている主体がぼやけて見えてこない。
問うているのは、やはり「芦の若葉」なのか、それとも芭蕉なのか?

「名」を問われている「物」とは一体何なのか?

この句を、「物の名を先づとふ」と「芦の若葉哉」で区切って読み考える。

すると、物の名を問うているのは芭蕉なのかな、と思えてくる。
次に、「物」とは「芦」のことではないか、と思えてくる。
結果、「若葉がそよいでいるこの芦のことを、(こちらでは)なんという名で呼ぶのか、まず、お尋ねしよう。」という様子が見えてくる。

これが、この「句」に対するネットでの、最も多い「解釈」のようである。

なんだか、謎かけ問答のようで、あまり面白く無い。

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