雉の鳴き声を聞いたら、父や母が懐かしくなった

父母(ちちはは)のしきりにこひし雉(きじ)の声
松尾芭蕉

前書きに「高野」とある。
「高野」とは、高野山のこと。
「笈の小文」の旅で、芭蕉が高野山を訪れたときに詠んだ句とされている。

ネットでは、この句が、奈良時代の高僧と言われている「行基上人」の歌から派生したものだとする解説が多い。

「山鳥のほろほろと鳴く声きけばちちかとぞ思ふははかとぞ思ふ」(行基:玉葉集)

山鳥(ヤマドリ)はキジ科の野鳥。
「ホロホロ」と鳴くかどうかは、実際聞いたことが無いからわからない。

キジの鳴き声を、YouTubeで聞いてみると、かすれた感じのちょっと高い音を出している。
「トータン」とも「トーチャン」とも聞こえる。
「カータン」や「カーチャン」と聞こえるときもある。
「ケーン、ケーン」と鳴くときもあるようだ。
「キーチャン」とも聞こえるような気がする。

確かに芭蕉は、行基上人の歌が脳裏にあったのかもしれない。
でも実際、高野山の森の中で、「トータン」とか「カータン」というさびしげなキジの鳴き声を、芭蕉が耳にしたとしたら。
芭蕉のなかに、父や母を懐かしく思う気持ちがストレートに湧き上がるのではないだろうか。
キジの声には、そういう気分を誘発するような哀感がある。

行基上人が「山鳥」でいったから、自分は「雉」でいこう、という発想ではないだろう。
芭蕉のこの句には、実際にキジの声を聞いて感じたという臨場感のようなものが感じられる。

それから、もうひとつ。
これは、私の冗談のような感想なのだが。
芭蕉の幼名は「金作」。
江戸時代に、わが子をチャン付けで呼ぶ習慣があったかどうかはわからないが・・・・。

金作少年が子供の頃、父母から、「キンちゃん」とか「キンよ」とか「キンぼう」とか呼ばれていたとしたら、キジの「ケーン、ケーン」や「キーチャン」という鳴き声に、自身の子供時代を思い出し、両親のことを懐かしんだ、ということもありなのでは。

いずれにしても、雉の鳴き声を聞いたら、父や母が懐かしくなった、という芭蕉の気持ちが伝わってくるような句であると思う。
「しきりに」という、細工のないストレートな表現に、芭蕉の、感極まった様子がうかがえる。

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