芭蕉の旅の生活

初夏の和歌の浦から、奈良に向かう芭蕉。

一つぬひで後(うしろ)に負(おい)ぬ衣がへ
松尾芭蕉

前書きに「衣更」とある。
夏の「衣更」は、陰暦4月1日の慣例行事。
季節の変化に合わせて、衣服を着替えていた。

旅をしていても、江戸・深川で暮らしていた頃の「慣わし」を行っている、という句。
ただ、家(芭蕉庵)に住んでいた頃の「衣更」は、着替えたものを物入れに保管したが、旅の身であれば、一枚脱いで、後ろに背負うだけの「衣更」である、というイメージ。

この句には、旅の生活の生々しい実感が込められている。
この句を読む者は、脱いだものの洗濯はどうしていたのだろう、と思ったりする。
芭蕉の汗の臭いが、漂っていそうな句である。

旅を歩いていて、暑さを感じたら上着を脱ぐのは、体温調節のためなのだが。
それを、浮世で暮らしていた頃の「衣更」という習慣と重ね合わせて、句に詠んだのではないだろうか。

4月1日という暦の日付に、江戸・深川での「衣更」を懐かしんだのかも知れない。
旅をしているからこそ、浮世の暮らしが懐かしめるのだ、という自負も感じられる。
旅に生きていれば、江戸の暮らしとは違って、こんなふうにシンプルなんだぜ、という感じもうかがえる。


灌仏(かんぶつ)の日に生れあふ鹿(か)の子哉
松尾芭蕉

「灌仏の日」とは灌仏会(かんぶつえ)の行われる日のこと。
陰暦の4月8日。
灌仏会とは、釈迦の誕生を祝う仏教行事のこと。
「生まれあふ」は、ちょうど同じ時に生まれること。

お釈迦様の誕生日に、この鹿の赤ちゃんは生まれたんだねぇ、という感じ。

当時、奈良において鹿が手厚く保護されていたのは、鹿が春日大社の「神使」であるとされていたから。
その鹿の子が、お釈迦様の誕生日に生まれた。
なにやら「神仏習合」を思わせる句である。


若葉して御めの雫ぬぐはばや
松尾芭蕉

この句には、以下のような意味の前書きがある。

「唐招提寺を開基された鑑真和尚は日本への渡航時、御目のうちに潮風が吹き入って、ついに失明された。唐招提寺で、その鑑真和尚の尊像を拝して、」とある。

「ぬぐはばや」の「ばや」は、自己の願望を表す終助詞。
「ぬぐはばや」は、拭いたいものだの意。

この清々しい若葉で、鑑真和尚の目についた潮の雫を拭いたいものだ、というイメージ。

鑑真和尚は、中国からの帰化僧で、苦難の末に失明までして、日本にたどり着いた人。
その行動は冒険的で、芭蕉は旅人としての鑑真の生き方に、敬意と魅力を感じていたのかもしれない。

「笈の小文」では他に、奈良と大坂(大阪)において、以下の句がある。

鹿の角(つの)(まず)一節(ひとふし)のわかれかな
松尾芭蕉

杜若(かきつばた)語るも旅のひとつ哉
松尾芭蕉

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