もっとも簡易な囲い柵(縄)が、もっとも有効なのかもしれない

駐車場を囲ってあるヒモの柵。


以前、「空き地の囲い柵のいろいろな方法」という記事を書いた。

上の写真の、囲い柵が施されている場所は、空き地ではなく駐車場。
そしてこの柵は、以前記事にした柵とは大違いの素材で出来ている。

写真を見ればお分かりと思うが、囲い柵の雰囲気も独特。
ありふれた街角に、異空間。

その囲い柵は、のぼり用のポールを垂直柱にして、それに市販の白いポリヒモを水平に張ってあるだけ。
一見して、細いしめ縄を思い浮かばせる。
しめ縄には紙垂(しで)がつきものだが、垂らしたポリヒモがその格好になっている。

この囲い柵は、簡易な造作だが、充分役に立っているように見える。
なぜかと言うと、この柵は、なにやら侵しがたい領域を囲っているような雰囲気で満ちているから。

そこは平凡な駐車場なのだが。


もっとも簡易な柵ではあるが、なんとなく近寄りがたい。


しめ縄の起源は知らないが、しめ縄と聞いて「縄ばり」を連想するのは私だけだろうか。
縄を張ることで境界を示し、外の世界に向かって立入禁止を示す。

古代の社会では、縄を張ることで、神聖で清浄な場所を区画したという。
この柵を作った人に、そういう古(いにしえ)の習慣が、無意識のうちによみがえったのか。
また、この柵を見る私たちにも、古代の習慣が、無意識によみがえったのか。
柵で囲まれた場所は、道路上の空間とは別の世界に見える。

境目がポリヒモ(縄)であるから、越えようと思えば越えられるのだが。
越えてはいけないのが、約束事。
古代社会の慣わしであった。

しめ縄や縄張りとは、約束事で囲うことなのだ。
この約束というコミュニケーションは、頑丈な鉄柵や木柵には見当たらない。
縄(ポリヒモ)の境界だけに存在する「気配」のようなもの。

鉄柵や木柵にあるのは、物質的な拒否、かたくなな所有の主張。
それに対してポリヒモ(縄)柵は、気配的。
もしくは精神的。
なぜなら、囲うことに願いが込められているから。

その願いは、古代から延々と続いているコミュニケーション。
共同体としての決め事。

おまけに製作は、とても安価。
その安価さは、安価すぎて、物質文化を寄せ付けないほどだ。

ああ、この空間は、そういうもので出来ている。

一心にヒモを張る人の、手間のみ。
身近な材料を集めて、工夫するアイデアのみ。
そのアイデアと手作業が楽しい。
その柔軟さがうれしい。

まるで縄文時代から飛び出したような、雰囲気作りのセンスと、遊び心。

こういう、もっとも簡易なこの柵が、もっとも真意を汲み取りやすく、もっとも有効であるのかもしれない。

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