「上木おちる」って何?「おちる」って呪い?「頭上注意・落枝危険」警告の効果的な方法
犬の散歩で、ちょっと遠出。
堤川沿いの堤防の道を上流に向かって歩いていたら、左の写真にある「注意書」に遭遇。
「上木おちる」という文字を、四角い線で囲ってあった。
そして、「矢印」のような白いペイント。
私は離れた場所で、この「上木おちる」を「上木みちる」と誤読してしまった。
なんで人の名前を、道に落書きしているんだろう?
「上木みちる」って芸能人かな、これは表札の代わりかな、なんて変なことを考えたり・・・・・。
矢印は、芸能事務所に誘導するためのものなのか、なんてね。
こんなにデカデカと公の道路に書いて・・・・ある意味ショッキングな落書きである。
その「落書き」に近づいて納得。
「上木」というのは、苗字ではなく、頭上の木のことを意味しているのではないか、と気づいた。
見上げると、今にも落ちそうな枯れ枝。
この枯れ枝が四角で囲んだあたりに落下しそうなので、四角の中に「上木おちる」と書いてあるのだ。
この中は枯れ枝の落下予想地点で、とても危険なエリアなのだと訴えている。
そして、この四角の部分を避けて通るように矢印で誘導している。
コスモスの花が咲いていて一見平穏な堤防風景ではあるが、「上を見よ!頭上に危険が潜んでいるぞ!」という警告なのである。
そういえば、国立公園や都市公園で、立木の落枝事故が度々起こっている。
落枝の直撃を受けて、亡くなられたり、下半身不随という障害を負ったり。
この場所での、そういう不幸な事故を防ごうという善意の「注意書」だったのである。
しかし「上木おちる」では、表現があまりにも「現象」的過ぎてピンとこないところもある。
「上木おちる」という「文句」は、どちらかと言うと、初見には、馴染みが薄いように思う。
やはりここは「頭上注意・落枝危険」とあった方が、注意力を喚起しやすいように思える。
しかしこの文句は、警告としては効果的かもしれないが、殺伐とした印象が残る。
いわゆる「心が寒い」というやつ。
おそらく、この「注意書」の作者は、そう思ったのだろう。
もっと柔らかい表現で、しかもその趣旨が行き渡るような「文句」はないものだろうか、と考えたに違いない。
そして、この「上木おちる」という「文句」を思いついた。
「おちる」というひらがなの方が、小学校低学年にもわかるし。
ところで、枯れ枝が落ちそうなイチョウの木は、祠を祭ってある境内に立っている。
この祠は、この土地に古くから鎮座しているもののようである。
土地の神を祭っているのかも知れない。
そういう雰囲気と言うか霊気というか、何か信仰的なものが「上木おちる」に色濃く漂っている。
そう感じると、別の思いが湧いて出た。
「上木おちる」は警告では無く、予言なのではあるまいか、と。
主に「おちる」というひらがなの部分に予言的な色彩が濃い。
あるいは予言を通り越して「呪い」のようでもある。
この四角で囲まれた領域に踏み込んだだけでも地獄におちそうな恐い感じ。
たとえば「大雨警報」よりも、「大雨おちる」の方が数段怖いと感じるのは私だけだろうか。
「おちる」という呪文。
これが作者の意図した「頭上注意・落枝危険」の効果的な方法なのかもしれない。
堤川沿いの堤防の道を上流に向かって歩いていたら、左の写真にある「注意書」に遭遇。
「上木おちる」という文字を、四角い線で囲ってあった。
そして、「矢印」のような白いペイント。
私は離れた場所で、この「上木おちる」を「上木みちる」と誤読してしまった。
なんで人の名前を、道に落書きしているんだろう?
「上木みちる」って芸能人かな、これは表札の代わりかな、なんて変なことを考えたり・・・・・。
矢印は、芸能事務所に誘導するためのものなのか、なんてね。
こんなにデカデカと公の道路に書いて・・・・ある意味ショッキングな落書きである。
枯れて落ちそうなイチョウの枝。 |
「上木」というのは、苗字ではなく、頭上の木のことを意味しているのではないか、と気づいた。
見上げると、今にも落ちそうな枯れ枝。
この枯れ枝が四角で囲んだあたりに落下しそうなので、四角の中に「上木おちる」と書いてあるのだ。
この中は枯れ枝の落下予想地点で、とても危険なエリアなのだと訴えている。
そして、この四角の部分を避けて通るように矢印で誘導している。
コスモスの花が咲いていて一見平穏な堤防風景ではあるが、「上を見よ!頭上に危険が潜んでいるぞ!」という警告なのである。
かなり上の方にも落ちそうな枝。 |
落枝の直撃を受けて、亡くなられたり、下半身不随という障害を負ったり。
この場所での、そういう不幸な事故を防ごうという善意の「注意書」だったのである。
しかし「上木おちる」では、表現があまりにも「現象」的過ぎてピンとこないところもある。
「上木おちる」という「文句」は、どちらかと言うと、初見には、馴染みが薄いように思う。
やはりここは「頭上注意・落枝危険」とあった方が、注意力を喚起しやすいように思える。
しかしこの文句は、警告としては効果的かもしれないが、殺伐とした印象が残る。
いわゆる「心が寒い」というやつ。
肉筆の跡が生々しい。 |
もっと柔らかい表現で、しかもその趣旨が行き渡るような「文句」はないものだろうか、と考えたに違いない。
そして、この「上木おちる」という「文句」を思いついた。
「おちる」というひらがなの方が、小学校低学年にもわかるし。
祠の真後ろのイチョウの木。 |
この祠は、この土地に古くから鎮座しているもののようである。
土地の神を祭っているのかも知れない。
そういう雰囲気と言うか霊気というか、何か信仰的なものが「上木おちる」に色濃く漂っている。
そう感じると、別の思いが湧いて出た。
「上木おちる」は警告では無く、予言なのではあるまいか、と。
主に「おちる」というひらがなの部分に予言的な色彩が濃い。
あるいは予言を通り越して「呪い」のようでもある。
この四角で囲まれた領域に踏み込んだだけでも地獄におちそうな恐い感じ。
たとえば「大雨警報」よりも、「大雨おちる」の方が数段怖いと感じるのは私だけだろうか。
「おちる」という呪文。
これが作者の意図した「頭上注意・落枝危険」の効果的な方法なのかもしれない。
堤防に近いイチョウの木が要注意。 |