烏賊売の声まぎらはし杜宇

私は、30代後半の頃の夏、北海道の津軽海峡に面した松前町の民宿に一泊したことがあった。
そのとき、はじめて烏賊(いか)売りの声を聞いた。
まだ夢うつつだった早朝、窓の下の路上から売り声が部屋のなかへ飛びこむ。
「いがぁーいがぁーいがぁー、いがぁーいがぁーいがぁー・・・・・・・」
松前町の烏賊売りの声は、「いがぁー」の激しい繰り返しだった。

烏賊(いか)売の声まぎらはし杜宇(ほととぎす)

制作年次が不明の、芭蕉の句。
貞亨元年(41歳)頃から元禄7年(没年)頃の作と言われている。

芭蕉が暮らしていた江戸深川あたりでも、「棒手売(ぼてふり)」と呼ばれていた物売りが盛んに往来を行き交っていたことだろう。
烏賊の入った箱やザルを天秤棒で吊るして、大声を上げた烏賊売りが芭蕉庵の近辺を売り歩いていた光景が想像される。
そのころの売り声は、昭和63年頃、私が松前町で聞いた売り声と同じようなものだったのだろうか。

ホトトギスは、赤い口の中を見せて「特許許可局(トッキョキョカキョク)」と鳴く。
ホトトギスの鳴き声は、昔も今も変わらない。
掲句は、その鳴き声と烏賊売りの声がまぎらわしいと詠っている。
だが、「トッキョキョカキョク」とまぎらわしいような烏賊売りの声とは、どんな売り声なのだろう。

「声まぎらはし」とは、烏賊売りの声とホトトギスの鳴き声が似通っていて区別がつかないという意味にとれるが、それは無いと思う。
似通っているのは、烏賊売りとホトトギスの、お互いの声の激しい繰り返しではないだろうか。

烏賊売りとホトトギスの声が、お互いに入り混じって、何が何だか聞き取れない有様。
それが芭蕉が句にした「まぎはらし」という状態だったのではあるまいか。
遠くで声をはりあげている烏賊売りと近くの木の枝で鳴いているホトトギス。
庵のすぐそばを行きすぎる烏賊売りと、遠くから聞こえるホトトギスの鳴き声。
どちらが遠くてどちらが近いのか。
それはわからないが、激しく繰り返す烏賊売りの声とホトトギスの声が聞こえてくるような句である。

江戸の生活の音と鳥の鳴き声が交錯する夏の風情。
その騒然とした音の様子が、「音の風景」となって読む者の想像力を刺激する。

古くから風雅の対象としてホトトギスは、俳諧や和歌でよく題材とされた。
風雅の代表のようなホトトギスと、世俗的な物売りとを「交錯」させることで、江戸の夏の風俗画のような世界が浮かび上がってくる。
このように、風雅と世俗とを「調和」させてイメージを広げているような芭蕉の句は、晩年のものに多いと私は感じている。

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