涼風や青田のうへの雲の影

登芳久氏の「野沢凡兆の生涯」によれば、凡兆は妻の羽紅にみとられて大坂難波に没したとある。
正徳四年(1714年)であったという。
享年は、70数歳と推定されている。

松尾芭蕉亡きあとの蕉門のメンバーのなかで、晩年の凡兆と交流のあった俳諧師は少ない。
服部土芳(はっとり とほう)、志太野坡(しだ やば)、森川許六(もりかわ きょりく)の名が上げられている程度である。

その「風交」は、それほど深いものではなかったとされている。


涼風(すずかぜ)や青田(あおた)のうへの雲の影
森川許六

晩年の凡兆と「風交」を保った数少ない俳人のひとりである許六の発句。
許六のおおらかな性格が感じられるような句であると思う。
おおらかな性格ゆえ、凡兆との交流を絶やさなかったのかもしれない。

その許六も、凡兆が没した翌年の、正徳五年(1715年)八月二十六日に病没した。

「青田」は夏の季語。
夏の晴れた田園風景が目に浮かぶような句である。
青々と実った稲穂が風に揺れている。
その上を雲の影がゆっくりと過ぎていく。
現在においても、日本の田園地帯のいたるところで目にする風景である。

よく目にする風景ではあるが、見る度に感動が伴う風景でもある。
天空の雲の動きに呼応するように青い稲穂が揺れる。

季節は夏とは言っても、時折涼しい風が吹いてくれる晩夏に近い。
天が高く感じられる頃である。

平凡だが、雄大で清々しい句を作った許六は、近江国彦根藩の藩士で、絵師でもあったという。
また許六は、武士として剣術・馬術・槍術に通じていたと言われている。

奇をてらわず、見た風景を見たままに平易な言葉で詠む。
その潔さは、武芸に秀でた武士としての性格からくるのだろうか。
平明な表現に、許六の自信が感じられる。

出川安人氏の「芭蕉と門人たちの風景」によれば、許六は「二物の取り合せ」を蕉風俳諧の本質と考えていたという。
掲句の「二物」とは「青田」と「雲」であろうか。

「青田」は人の手が加わった人口のもの。
「雲」は天然自然のもの。
許六は、人々の暮らしと自然を対比させることで、17文字の世界を広げようとしたのかもしれない。

そういえば芭蕉が絶賛したという句「十団子(とおだご)も小粒になりぬ秋の風」の「団子」と「秋の風」。
許六の代表作のひとつとされている「苗代の水にちりうく桜かな」の「苗代」と「桜」。
二句とも、人々の暮らしと自然を対比させているように見受けられる。

また、「寒菊の隣もありや生大根」という句にもそれは感じられる。
「寒菊」という雅に通じる自然。
「生け大根」という生活臭漂う暮らしの風景。

許六は「二物の取り合せ」という自身の論を、徹底的に追究しようとして句の言葉を選んでいたのかもしれない。

涼風や青田のうへの雲の影

許六の持論に対する清々しい自信が感じられる一句である。
「青田」という農民(庶民)の暮らしを題材にとる姿勢は、どこか凡兆を彷彿させるものがあると私は感じている。

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