おくやまにもみぢふみわけなくしかのこゑきくときぞあきはかなしき

秋は物悲しい季節である。
葉を落として、黒く尖った木々の枝先が、曇天を刺すように連なる。
暗い雲の下を鳴きながら飛んでいく夕暮れの雁。
そんな晩秋の景色に触れると、いっそう物悲しい気分になってくる。

秋子は、自身の名前に季節の秋の字が用いられているせいか、秋に対する思い入れが人一倍強い。
秋は、冬が間近な季節。
過ぎていく秋を、物悲しく思う気持ちが募ると、人恋しい気持ちも募ってくる。
人恋しい気持ちには、しみじみとした哀愁が伴う。

秋子は食品開発課の上司である奥山課長を密かに慕っていた。
課内での飲み会の席で、思いのほか酔いがまわっていた秋子は、奥山課長にビールを注ぎながら「お慕い申しております・・・」と言った。
そんな秋子の古風な言い方を戯言のように聞き流しながらも、奥山は好感を持った。
短歌をたしなむ奥山は、古風な趣を日本人の知的共有財産だと思っていた。

マイペースな今の若い女子社員は、上司にお酌などめったにしない。
奥山は、秋子の仕草に雅な情緒を感じて、その雰囲気を楽しんでいた。
「この子は私の趣味を感じとるアンテナを持っている。」
などと、秋子を評価した。

そんな二人の様子をじっと見ている男子社員がいた。
奥山課長と同期入社の鹿野係長だった。
鹿野は入社当時から業績が芳しくなく、今では同期の奥山の後塵を拝することとなった。
奥山の有能さを認めている鹿野は、先を越されたことを恨んではいなかった。

その鹿野は、理知的な雰囲気を漂わせている秋子に好意を寄せていた。
そして、秋子が奥山を好いていることをうすうす感じてもいた。

食品開発課は、奥山課長をリーダーとして新商品の開発に取り組んでいる。
奥山は自らが提案した「もみじ麩」の商品化に熱心だった。
「もみじ麩」は、すでに他社で商品化されていたが、奥山が考えているものは、日本ならではの美しい細工食品としての「もみじ麩」であった。
日本人が古来より抱いている美意識を、現代の商品に反映させよう。
それが、奥山が抱いているテーマであった。

その「もみじ麩」の着色の見分けを、奥山は鹿野に頼んだ。
色彩感覚に自信が無い鹿野は、秋子に仕事を手伝ってもらおうと思った。
一石二鳥。

「奥山にもみじ麩見分け・・・・」と鹿野は秋子に話しかけた。
話の末尾が聞き取りにくい鹿野の話し方に、秋子は苛立ちを覚えていた。
その口調が泣きながら言っているような感じなので、秋子はいつもの「泣く鹿野」が始まったと思った。

秋子は、鹿野の態度を男らしくないと思いながらも、係長である鹿野の申し出を断る訳にもいかない。
それで秋子は、「もみじ麩」の着色の見分けに協力することにした。
あいかわらず優柔不断で決断力に乏しい鹿野は、なかなか自分の意見を言わない。
泣くような声で、秋子の判断ばかりを求める。

奥山課長は、麩という日本の伝統的な食品に、「もののあはれ」的な色合いを添えようとしているのだ。
奥山課長がイメージしている「もののあはれ」的な色合いを、秋子はよく理解していた。
麩という食品は、精進料理や懐石料理に採用されながらも、やがて庶民の食卓にあがるようになった。
「もののあはれ」も、古の王朝文芸の感覚から離れて、庶民的な色合いを発するようになった。
そんな色合いの「もみじ麩」を課長は希望しているのだ。

鹿野係長は、そんなことには無頓着。
私に泣くようにせがむばかりで、自身では結論を出そうとしない。
奥山課長に、「もみじ麩」の見分けを頼まれて泣く鹿野の哀れさ。
それよりも、こういう男が部下では奥山課長が可哀想だ。

奥山課長の苦労が痛いほどわかった。
心が哀愁に震えて、秋子はしみじみとした気持ちになった。
奥山課長が哀れであった。
鹿野係長の無能さが悲しかった。

奥山に「もみじ麩」見分け泣く鹿野声聞く時ぞ秋は悲しき。

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