津軽の「サルケ」は伊賀の「うに」、「香に匂へうに掘る岡の梅の花」

「芭蕉年譜大成」より

香に匂へうに掘る岡の梅の花
松尾芭蕉

元禄元年三月中旬の発句。
芭蕉はこの年の二月十八日に亡父の三十三回忌の法要のため、「笈の小文」の旅の途中で故郷の伊賀上野に立ち寄っている。
帰郷も、この旅の目的のひとつであった。

掲句は芭蕉の後輩にあたる同郷の門人服部土芳(はっとり とほう)の「土芳庵(とほうあん)」で詠まれたとされている。
「土芳庵」は後に、芭蕉の「蓑虫の句」にちなんで「蓑虫庵」と名付けられた。

伊賀の「うに」は泥炭のこと

この句で面食らったのは、「香に匂へうに掘る」の「へうに」である。
「匂」を送り仮名無しで「におひ」と読んでしまい、「香ににおひへうに掘る」と訳がわからなくなった。
古典には「読み」も意味も難解な古語が使われているという先入観念が、こういう錯覚につながったのだろう。

いろいろ調べて、この句は「香(か)に匂(にお)へ うに掘る岡の 梅の花」と「読み」の方は解ったが、「うに掘る」の「うに」の意味が解らない。
これもまたいろいろ調べたら、「うに」は雲丹(ウニ)のことだった。
「うに掘る岡」の「うに」が、海に生息するウニではますます解らない。

江戸時代の伊賀上野で「うに」と言えば泥炭のことだという。
泥炭とは、枯れた湿地植物などが堆積して炭化したもので、可燃性がある。

津軽の「サルケ」も泥炭

泥炭と言えば、昔の津軽地方には「サルケ」と呼ばれていた燃料があった。
あまり炭化が進んでおらず、植物の繊維が表面に残っていた。
それが猿の毛を思わせるから「サルケ」なんだと村のお年寄りから教えてもらった記憶がある。
(※サルケはアイヌ語の「サルキ」に由来するという民間の説もある。「サル」はアイヌ語で低湿地のこと。「キ」は湿生植物のヨシとかカヤのこと。「サルキ」で、湿原に生えているヨシを意味するとのこと。このヨシとかカヤが枯れて堆積し「サルケ」になる。)

この「サルケ」の繊維のトゲトゲが、ウニのトゲに似ていなくもない。
津軽の「サルケ」が伊賀では「うに」だったのだ。
なんと面白い。

私が子どもの頃、津軽半島の稲垣村(いながきむら)では、軒下に「サルケ」を積んで乾燥させていた家があった。
1950年後半頃のことである。
(稲垣村は、青森県西津軽郡にかつてあった村。2005年2月11日、新設合併による「つがる市」発足に伴い廃止された。)

稲垣村は岩木川の中流域に位置するかつての湿地帯である。
その湿地跡で「サルケ」をブロック状に切り出して採掘したのである。
冬にそれを囲炉裏に焚べて暖をとっていた。
燃え始めは燻(いぶ)っている感じで、かなりの煙が出ていたと記憶している。

「うに」の悪臭

「サルケカマリ」という、「サルケ」臭の方言があったから、燻るときに相当な匂いが発生していたに違いない。
でも匂いの記憶は私には無い。
植物の遺骸が燻る匂いであるから、かなりな悪臭だったのではないかと思われる。

さて掲句は、泥炭である「うに」を採掘する岡の、「梅の花」を詠ったものである。
嫌な「うに」の匂いを消すほどに香り強く匂ってくれ、「うに」採掘場の岡に咲く梅の花よ、という句のイメージであろう。

これは伊賀地方のローカルハイカイである。
江戸の人々は「うに」を知らないから、この句を鑑賞できない。
「うに」が燻って出す悪臭を知っている土地の人でなければ解らない。

まして現代では、「うに」も「サルケ」も、採掘されていたその土地でも忘れ去られた存在である。
薫り高い梅の花の対比として泥炭の「うに」の悪臭を想像するしかない。

ただ「サルケ」を体験したことのある津軽地方の爺様婆様達なら、「香に匂へうに掘る岡の梅の花」を「香に匂へサルケ掘る岡の梅の花」と置き換えると、この句の実感を蘇らせることができるかもしれない。

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