山の中腹に「唐川城跡」の展望台があったものの、いったい遺跡はどこに?

【唐川城跡展望台の休憩所。】


大沼公園の北東方向に、南北に長い山がある。
頂上の標高が166メートルの、地図には名前の載っていない山。

大沼公園から見れば、津軽山地の西端に位置する小高い丘のような山である。
その山に「唐川城跡」がある。

自動車道路は、標高110メートルまで続いている。
標高110メートルの地点が広場になっていて、乗用車が5~6台駐車可能なスペースがある。

十三湖に向いた広場の端に、上の写真の、展望台の休憩所のような建物が建っている。
「唐川城跡」と記された木杭の看板もある。

自動車道路は、ここから下って「春日内観音堂」の方へと続いているが、自動車での通行はあまりおすすめではない。
舗装はされているが、急傾斜の細い道で、アスファルトの上に泥がのっているのでスリップしやすい(体験談)。

グーグルマップで調べると、この広場の住所が、五所川原市磯松唐皮と出る。
なるほど、唐皮なので「唐川城」なのだと納得。


【唐川城跡展望台から十三湖(奥)と(大沼)を眺める。】


展望台からは、西方向の風景がよく見える。
大沼公園の奥に十三湖が横たわっている。

休憩所のなかには、下の写真にある看板が掲げられている。
看板の「唐川城跡(からかわじょうあと)」と題された説明書きを、書き写したものが以下の「赤文字」部分である。

「 唐川城跡は十三湖北岸の標高140~160mの独立丘陵上にあります。唐川城跡の中腹にある展望台からは、岩木山や日本海、十三湖の絶景を眺めることができます。ここからの景観は中世に西浜と呼ばれた地域を一望でき、岩木川水系や日本海の水上交通を押える要衝にあったことが分かります。唐川城跡は展望台裏の高い平場にあり、土塁と堀跡などが現在も良く残されています。
 これまで唐川城跡は伝承に従って、安藤氏に関わる中世城館と理解されてきました。南部氏に追われた安藤氏が居館であった福島城跡を捨て、最後に立てこもった詰城(つめじろ)と理解されてきました。いよいよ落ち延びる際に、今も残る井戸跡に宝物を隠して、北海道へ渡っていったという興味深い伝承があります。
 平成11~13年度に富山大学がその実態解明のため発掘調査を行いました。その結果、安藤氏時代よりも古い平安時代後期(10世紀後半~11世紀代)に築城されたことが判明しました。高地性環濠(かんごう)集落と呼ばれる性格のものであり、その後、安藤氏時代(15世紀)に一部が再利用されていることが判明しています。唐川城跡は南北700m、東西200mの規模を持ち、他の環濠集落を圧倒する大規模なものです。山頂の平坦面には土塁と堀によって、大きく3つの郭(くるわ/北郭・中央郭・南郭)が設けられ、その東側には帯郭(おびぐるま)状の堀を巡らす比較的単純な構造になっています。さらに、北郭と南郭には現在でも大きな井戸跡が残っており、南郭の井戸跡周辺には竪穴住居跡と考えられる窪地(くぼち)が多数確認されています。発掘調査では主に南郭の井戸跡と周辺の竪穴住居群の調査が行われています。
 調査の結果、井戸跡は上端幅10m、深さ2.5mに及び、岩盤を大きく刳(く)りぬいて造られていました。また、周囲には竪穴住居跡二軒、精錬炉跡(せいれんろあと/鉄を溶かす炉)一基が検出されています。竪穴住居跡では床面が焼土で覆われ、金床石(かなとこいし/鉄を打ち付ける台)や鍛冶(かじ)関連遺物が検出されています。精錬炉跡では、フイゴ羽口(はぐち/風を送る道具)や多量の流動滓(りゅうどうさい/鉄くず)が伴っていました。
 このことから、唐川城内で鉄製品を作る集団がいたことが判明しています。また、竪穴住居跡内からは平安時代後期にあたる土師器の坏(つき)・甕(かめ)、五所川原産須恵器(すえき)の長頸壺(ちょうけいこ)・甕(かめ)、土錘(どすい/漁業用網のおもり)のほか、北海道を起源とする擦文(さつもん)土器も伴っていました。
 一方、標高160mと最も高い中央郭では、南東部に連続した二つの平坦面(屋敷地)の存在が明らかとなり、安藤氏時代(15世紀前半)の小規模な掘立柱建物の柱跡や陶磁器が見つかっています。」


【休憩所の中にある説明看板。】


下の写真は、看板左側の図や写真を拡大したもの。
看板には、出土した土器や陶磁器の写真、遺跡の調査風景写真、精錬炉跡の写真、及び「唐川城跡」の地形測量図などがプリントされている。

この看板をじっくり読めば、この遺跡の概要が分かるようになっている。
いろいろ遺跡の看板を見てきたが、こんなに詳細な看板は初めてである。

詳細な看板も、それはそれで良いものである。
その場で読めなくても、デジカメで撮っておけば、読みたいときに読むことができる。

そうであるから遺跡見物に専念できる。
と、ところで遺跡はどこに?


【説明看板の左側を拡大。】


少し前に、「中世十三湊の世界(新人物往来社)」という本を図書館で拾い読みしたことがあった。
その本には、「唐川城跡の発掘調査」という項目があって、「津軽地方の中世の城跡という伝承のある場所を発掘してみると、非常に高い確率で古代の遺物が出土してくる。」という意味のことが書かれてあった。

例として、中里城や蓬田城、尻八館(シリポロチャシ)が上げられていた。
何やら「津軽半島文化」の特質を示しているようで面白いと思ったのだった。

だが、実際「唐川城跡」に来て、目にしたものは詳細な看板だけ。
看板に記された遺構は山に中に隠れていて、それを見物できる遊歩道も無い。

これでは多くの訪問者が、古代や中世の在りし日をイメージできないではないか。
帰り道で「唐川城跡」の山を眺めて、しみじみとそう思った。

道路に設置された「唐川城跡」という案内看板につられて、遠方からやってきた観光客の方が展望台までクルマを進めるかもしれない。
やって来たものの、「唐川城跡」の遺構は見れないのである。

詳細な看板があれば、それが示している現物を見たくなるはず。

ところが何もない。
「なんにもないじゃん!遺跡はどこに!」
というガッカリ声が聞こえてきそうな「唐川城跡」であった。


【岩井牧場付近から「唐川城跡」がある山を眺める。】

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