年は人にとらせていつも若夷
(芭蕉年譜大成より。) |
「若夷(わかえびす)」とは、夷神(恵比須神・えびすがみ)の像を刷った札のこと。
「若夷」は、正月の縁起物となっている。
江戸時代の上方でのこと。
元日の早朝に、「若夷売(わかえびすうり)」がこの札を売り歩いたという。
江戸時代の上方でのこと。
元日の早朝に、「若夷売(わかえびすうり)」がこの札を売り歩いたという。
「若夷」を門に貼ったり。
歳徳棚(としとくだな)と言われている「歳徳神(としとくじん)※」をまつる棚に供えたり。
そうして、一年の福を祈ったとのこと。
【※歳徳神とは。陰陽道(おんようどう)で、その年の福徳をつかさどる神。この神のいる方角を恵方(えほう)という】
年は人にとらせていつも若夷
松尾芭蕉年は人にとらせていつも若夷
寛文六年、芭蕉二十三歳の作である。
掲句の初案は、「年や人にとられていつも若えびす」であったという。
初案の句は、内藤風虎※(ないとうふうこ)編「夜の錦」に、伊賀上野松尾氏宗房として入集している。
改作された掲句は、広岡宗信※(ひろおかそうしん)編「千宜理記(ちぎりき)」に、伊賀上野宗房として入集。
(※内藤風虎は、江戸時代前期の磐城平藩主。俳諧をよくし、そのために平の俳諧が盛んになった。)
(※広岡宗信は、大阪の人。俳人。)
正月の札に刷られている夷神の顔は、毎年変わることなく若々しい。
それにくらべて、札を買う人は年々歳を重ねて老いてゆく。
夷神は、福の神の代表とされ、商いの神様とされている。
そういう神様として夷神が歳をとらず衰えないのは、人に札を買わせて歳をとらせているせいなのだという滑稽句ともとれる。
句のなかで、年老いていく人間と永遠の存在である神を対比させているのは、「若夷」という民間信仰を皮肉っているようにも思える。
初案の句の「とられて」は、人に年をとられるという、夷神が受身の形となっている。
夷神が人に歳を奪われているという格好だ。
人は「若夷」の札を買うことで、神から歳を奪って新年を迎えているからめでたい。
また、夷神は人から歳を奪われているのでいつまでも若い。
そういうイメージが思い浮かぶ。
(芭蕉年譜大成より。) |
改作の句は、「とらせて」と使役の形になっている。
夷神が人に歳をとらせているから、人は年老いていくし、人を老いさせることで夷神はいつまでも若くいられる。
初案の句と改作の句では、句から受け取るイメージがずいぶん違ってくる。
改作の句を読んで思い浮かぶのは「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」という歌。
一休宗純※(いっきゅうそうじゅん)の作とされている歌である。
【※一休宗純は、室町中期の臨済宗の禅僧。京都の人で、後に大徳寺の住持となる。禅宗の革新に尽力。詩、狂歌、書画に才能を発揮。奇行の持ち主として様々な逸話が語り継がれている。頓智咄(とんちばなし)は後世の創作とされている。】
一休さん流に芭蕉の「年は人にとらせていつも若夷」を読んでみると、「若夷はめでたくもありめでたくもなし」という結論になる。
寛文六年のまだ若かった芭蕉。
はたして芭蕉は、一休さんの歌を念頭において掲句を作ったのだろうか。
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