川風や薄柿着たる夕涼み

【都林泉名勝図会(文:秋里籬島 挿絵:佐久間草偃、西村中和、奥文鳴)四条河原 国文学研究資料館様ホームページより転載】


江戸時代に京都四条の河原(鴨川)では、陰暦の六月七日から六月十八日の十二日間、「夕涼み」が行われていた。
京都盆地は、冬は底冷えがして酷く寒く、夏は酷く蒸し暑い。
この夏の暑さをしのぐために、水辺の涼を楽しんでいたようだ。

芭蕉は元禄三年の夏、上方漂泊中の京都で、四条の河原の「夕涼み」に出かけている。
上の写真は、四条の河原で行われていた「夕涼み」のイラスト。
江戸時代に描かれたものである。

このイラストも面白いが、「夕涼み」の様子を書いた芭蕉の文章がもっと面白い。
当時の「夕涼み」の様子が目に浮かぶようである。
以下の「赤文字」は、「芭蕉年譜大成(著:今榮藏)」に載っている芭蕉の文を書き写したもの。

四条の川原涼みとて、夕月夜のころより有明(ありあけ)過ぐるころまで、川中に床を並べて夜すがら酒を飲み、物食ひ遊ぶ。女は帯の結び目いかめしく、男は羽織長う着なして、法師・老人ともに交(まじ)り、桶屋・鍛冶屋の弟子子(でしご)まで、暇得顔(いとまえがお)に歌ひののしる。さすがに都の気色(けしき)なるべし」

「暇得顔(いとまえがお)に」とは、「良い機会を得たとばかりに」という意。

別に現代語に訳さなくても、その賑わいの様子が伝わってくる文章である。

川風や薄柿(うすがき)着たる夕涼み
松尾芭蕉

元禄三年の夏の句。
京都四条の鴨川の河原で行われた「夕涼み」を詠った句である。

「薄柿」とは、柿渋で染めた薄い赤茶色(薄柿色)。
また、その色の帷子(かたびら)のこと。
帷子とは、麻で仕立てた夏用の単衣の着物。

薄柿の帷子は、その当時流行したのではあるまいか。
それで、「夕涼み」の河原では、「法師・老人ともに交(まじ)り、桶屋・鍛冶屋の弟子子(でしご)まで、暇得顔(いとまえがお)に」薄柿を着ていたと私は想像している。

薄柿を着て鴨川の川原で夕涼み。
それが、京都の夏のファッションだったのかもしれない。

その様子を、「さすがに都の気色(けしき)なるべし」と芭蕉は楽しんでいるように思える。

ところで、日本の伝統色である薄柿とは、「和色大辞典」というサイトによると以下の色である。


【薄柿】



【浴衣の上に薄柿を羽織った町人。】



薄柿を、CMYKカラーモデルで表すと「C=20% M=38% Y=26% K=0%」となる。
そこで、京都の町人風の男性をCorelDRAWで上の図のように描いてみた。

芭蕉の文に、「男は羽織長う着なして」とあるので、浴衣の上に薄柿を羽織っていたのではないかという私の想像である。
浴衣だけで外出というのは、ちょっとだらしないような印象なので。

「都林泉名勝図会」の「四条河原・夕涼み」の絵には、羽織のようなものを着た人たちも描かれている。

でも、この推測は的外れかもしれない。
薄柿は単衣のことで、薄柿の羽織は考えにくい。
羽織の下に薄柿の単衣を着ていたのだろう。

もう一案が下の図。
冒頭の「都林泉名勝図会(みやこりんせんめいしょうずえ)」の絵を、CorelDRAWでトレースして着色したもの。
町人風の男が薄柿の単衣を着て、お酒を飲んでいる図である。
このほうが、ずっと夏向きに見える。

はたして、どうだったのだろう。

川風や薄柿着たる夕涼み


【都林泉名勝図会の四条河原のイラストをCorelDRAWで手動トレース。】


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