三尺の山も嵐の木の葉哉

私ぐらいの年代(1951年生まれ)では、一尺が約30cmであることを知っている。
したがって三尺は、約90cmとなる。

また三尺(さんじゃく)と聞けば、子供のころ着ていた浴衣の帯のことを思い出す。
子どものころ生活した家の、畳の短辺の寸法も、三尺に近い値だった。

現在では、ベニヤ板やコンパネなどでサブロク板といえば、三尺×六尺の大きさの板のこと。
90cm×180cmは、ホームセンターなどで売られているベニヤ板やコンパネのポピュラーなサイズである。

このように三尺は、今でも身近な存在である。


三尺の山も嵐の木の葉哉
松尾芭蕉

元禄三年十二月末の句とされている。
前書きに「大津にて」とある。
芭蕉が「おくのほそ道」の旅を終えて、上方近辺を漂泊した時期の作である。
元禄三年の大晦日ごろに、芭蕉は京都から大津の義仲寺(ぎちゅうじ)境内の無名庵(むみょうあん)に移っている。

さて、掲句の「三尺の山」については、インターネットにいろいろな書き込みがある。
その多くは、「三尺の山」は存在しないというもの。
この句の「三尺の山」とは、きわめて低い山のたとえであるという「解釈」がほとんどである。

それは上五の「三尺の」の「の」を、比喩に用いられる格助詞としているからだろう。
そこから、「三尺しかないような低い山も」という「解釈」を導きだしている。

そこで、古文の格助詞「の」について調べてみると、「比喩」の働きをもつ格助詞「の」は、用言を修飾する連用修飾語になるとのこと。
ところが、「三尺の」に続く「山」は体言(名詞)である。
この句に用言は無い。
体言と助詞だけでできた句なのである。

もしかしたら芭蕉は、「山」の前につけるべき「低い」とか「小さい」とかの形容詞を省略して、「三尺の」でその省略した形容詞を修飾したのだろうか。
とすれば「山も」の「も」は、強意を示す係助詞の「も」であろうか。

高い山は風当たりが強いので、嵐の影響を強く受けるのは当然のこと。
このたびは、三尺しかないような低い山でも、まあ嵐の影響で木の葉がすっかり散ってしまっている。
それだけ今回の嵐は強烈だった。
というような。
だが、それではあまりにもそのまんま過ぎる。

私は、違うイメージを感じている。
「三尺の山」は義仲寺の庭に存在したのではあるまいか。
三尺の石灯籠があるように、三尺の作られた山があったのではないか。

無名庵が建っている義仲寺の庭にある「三尺の山」。
「三尺」という身近な寸法を山につけることで、「三尺の山」が人工の山であることを暗に示しているように思われる。

天気の良い日は美しい庭園だったが、嵐のせいで落ち葉に埋もれてしまった。
芭蕉は、人工の庭と自然の脅威を対比させて、そこに無常観を漂わせているのではないだろうか。

「の」が連続する掲句は、軽快な感じである。
と同時に、自然の脅威のスピード感をもあらわしているように私には感じられる。
脅威のスピードが美しい庭を破壊して、折れた枝と落葉の残骸だらけの無残な姿に「山」を変えてしまった。

芭蕉が、「三尺の山」の庭園に感じたのは、無常迅速であったのかもしれない。

この年から四年後の元禄七年十月十二日、芭蕉は大坂(大阪)にて病没。
十月十四日に、この義仲寺で葬儀が行われ、境内に埋葬された。

インターネットで、義仲寺にある芭蕉の墓を探せば、墓の写真は容易に見ることができる。
三角の形をした墓石が印象的である。


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