地に倒れ根に寄り花の別れかな

「劇的な句」とは

芭蕉の追悼句のなかで「劇的な句」と言えば、「塚も動け我泣声は秋の風」があげられる。
私の知るかぎりでは、こんなに激情をあらわにした芭蕉の句は他に見あたらない。

私が言う「劇的な句」とは、芭蕉が激しい感情をあらわにして詠いあげた句のこと。
あたかももうひとりの芭蕉が、ヤマ場の舞台で台詞を発するように。
そういうシーンを思い起こさせる句のことである。

「塚も動け我泣声は秋の風」の句では、自身の「劇」のなかへ観客を誘い込み、その「劇」のなかで芭蕉は亡き友の面影をよみがえらせようとしたのではあるまいか。

現実には登場しえない故人を、芭蕉の「劇」のなかに「我泣声」を発するもうひとりの芭蕉とともに登場させたのである。

伝えるための「劇的な句」

舞台上での感情過多な台詞は、芝居をみている観客に劇の内容を鮮明に伝えるために必要である。
舞台を間近でみている観客は、その迫力に圧倒される。

芭蕉は、自身の悲愁を門人以外の者にも広く伝えるために「劇的な句」を詠んだのであろう。
伝えることで、死者は芭蕉の「舞台」の上でよみがえる。

亡き担堂和尚のための追悼句

地に倒れ根に寄り花の別れかな
松尾芭蕉

貞享三年の春の句であると「芭蕉年譜大成(著:今榮蔵)」では推定されている。
前書きに「坦堂和尚を悼み奉る」とある。
知人の死に対する追悼の句である。

地に倒れたのは芭蕉か?

この句にある「地に倒れ」たのは、芭蕉なのだろうか。
悲しみのあまり、地面に倒れ伏す芭蕉。
倒れたまま、桜の木の根元に寄りすがる。
これもまた「劇的」なシーンである。

知人の死を悼むように花びらが散っている。
故人は、花を愛した俳諧師であったのだろう。
その花が、ひらひらと散っている様は、故人との別れを惜しんでいるようである。
そういう情景を芭蕉は演じようとしたのだろうか。

地に倒れたのは担堂和尚か?

また、「地に倒れ」たのは、担堂和尚であるようにも受けとれる。
旅に死すというイメージである。
旅の途次で病が高じてか、担堂和尚は地面に倒れ伏す。
傍らで桜の花が咲いている。
せめて桜の花の下で死のうと、木の根元へ身を寄せる旅人。
やがて、花に包まれた旅人の亡骸が、桜の下で発見される。
そういう「劇」も思い浮かぶ。
芭蕉もまた「野ざらしを心に風のしむ身かな」と「劇」的に宣言した旅人なのである。

担堂和尚の死を、地に落ちた花にたとえた

さらに、もうひとつ。
地面に落ちた花を、芭蕉は担堂和尚の死にたとえたのかもしれない。
花は散って、翌年の春に咲くために根に帰る。
根のそばに寄って、再生のための養分になる。

あなたとの別れは、そんなしばしの花の別れのようなものでしょう。
と芭蕉が、舞台で別れの言葉を発する。

季節がめぐれば、桜の花が再生するように、あなたも花とともに再生するのでしょう。
という芭蕉の「劇」。
その「劇」のなかで、芭蕉は亡き友の面影をよみがえらせようとしているのだ。
そういうふうに読むと、掲句も「塚も動け我泣声は秋の風」のような「劇的な句」であるように思われる。
「地に倒れ根に寄り」という畳み掛けるような言葉が、散った花に対する芭蕉の感情の高まりを表しているように思われる。

崇徳院の「花は根に鳥は古巣に帰るなり」

この句を彷彿させる歌に、崇徳院の「花は根に鳥は古巣に帰るなり春のとまりを知る人ぞなき(千載和歌集)」がある。
この歌の「花は根に鳥は古巣に帰るなり」が「格言」のように巷に流布している。
それが、この歌をなお有名なものにしている。

散った花は根本に落ちて木の養分となる。
空をあてもなくとびまわっているようにみえる鳥も、夜になればねぐらへ帰る。
このようにすべてのものは、元にもどるという意味合いの格言である。

芭蕉の時代に、この歌が格言として利用されていたかどうかは定かではない。
ただ思えるのは、この歌から感じられる死生観を元にして、芭蕉が掲句を作ったのではないかということ。
「地に倒れ根に寄り花の別れかな」は、芭蕉が演じる「劇」において、亡き友の再生を願う「わかれうた」なのかもしれない。


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