芭蕉の香り「蘭の香やてふの翅にたき物す」
蘭の香の句
「其(その)日のかへさ。ある茶店に立寄(たちより)けるに、てふと云(いひ)けるをんな、あが名に發句せよと云(いひ)て、白ききぬ出しけるに書付(かきつけ)侍る。」芭蕉紀行文集(岩波文庫)より引用。芭蕉一行は、西行谷からの帰りに、とある茶店に立ち寄る。
その茶店の「てふ」という名の女性が、白い絹の布を出して、「私の名前が入った句を詠んで下さい」と芭蕉に頼んだ。
そこで芭蕉は、その布に詠んだ句を書き付けた。
蘭の香やてふの翅(つばさ)にたき物す
「芭蕉紀行文集(岩波文庫)」には、掲句に「校注」が付いている。
西山宗因のエピソード
西山宗因は江戸前期の連歌師で俳人。宗因は、自由・斬新な作風の宗因風(談林俳諧)を展開して、若い日の芭蕉もそれに学んだとのこと。
しかし宗因風俳諧は、その言語遊戯性や滑稽諧謔の作風が次第にマンネリ化し、天和二年三月の宗因の死を境に冷え込んでいった。(芭蕉年譜大成による)
宗因風の衰退の後、あらたな試みとしての芭蕉の蕉風が注目されることとなった。
三冊子によると、宗因が伊勢神宮への参宮の際に立ち寄った茶店があった。
宗因はその茶店の女将に「つる」という彼女の名前を入れた句を詠んでくれるように頼まれたという。
そこで宗因は、「葛の葉のおつるがうらみ夜の霜」という句を作って、茶店の女将に贈った。
もしかしたら、芭蕉が立ち寄ったという茶店での「てふ」との出会いは、宗因の物語に模した芭蕉のフィクションであるのかもしれない。
そう考えると「蘭の香」は、芭蕉の香りのことではないかと思えてくる。
「たき物」とは薫物の意で、香をたいてその香りを衣服などにしみこませること。
その昔は宗因風(談林俳諧)が羽ばたいていたが、今では蕉風の香りを染み込ませた翼が自由に飛び回っているというイメージではあるまいか。
「出立のころにはすでに宗因風からも模索期の天和調からも脱皮して、芭蕉の目には明白な新境地が見えていた。旅中作には天和調の破調句そのたの残滓が若干影をとどめるが、宗因風以来の、滑稽諧謔のための複雑な言語遊戯技巧と過剰な当世風は払拭されて俗外に詩美を求める新風が打ち出される。」芭蕉年譜大成より引用
「蘭の香やてふの翅にたき物す」の句は、まさに今榮蔵先生が述べておられるような、新風の香りを行く先々に染み渡らせようとしている芭蕉の思いを表している。
三冊子によると、宗因が伊勢神宮への参宮の際に立ち寄った茶店があった。
宗因はその茶店の女将に「つる」という彼女の名前を入れた句を詠んでくれるように頼まれたという。
そこで宗因は、「葛の葉のおつるがうらみ夜の霜」という句を作って、茶店の女将に贈った。
蕉風の香りの翼
芭蕉の「蘭の香やてふの翅にたき物す」は、この宗因のエピソードに模して作られた句であるらしい。もしかしたら、芭蕉が立ち寄ったという茶店での「てふ」との出会いは、宗因の物語に模した芭蕉のフィクションであるのかもしれない。
そう考えると「蘭の香」は、芭蕉の香りのことではないかと思えてくる。
「たき物」とは薫物の意で、香をたいてその香りを衣服などにしみこませること。
その昔は宗因風(談林俳諧)が羽ばたいていたが、今では蕉風の香りを染み込ませた翼が自由に飛び回っているというイメージではあるまいか。
「出立のころにはすでに宗因風からも模索期の天和調からも脱皮して、芭蕉の目には明白な新境地が見えていた。旅中作には天和調の破調句そのたの残滓が若干影をとどめるが、宗因風以来の、滑稽諧謔のための複雑な言語遊戯技巧と過剰な当世風は払拭されて俗外に詩美を求める新風が打ち出される。」芭蕉年譜大成より引用
「旅中作」の「旅」とは「野晒紀行」の旅のこと。
「蘭の香やてふの翅にたき物す」の句は、まさに今榮蔵先生が述べておられるような、新風の香りを行く先々に染み渡らせようとしている芭蕉の思いを表している。
「野晒紀行」の旅が、野晒になることを否定しつつ、自身をより活かそうというプラス志向の旅であるということ。