梅が香や砂利しき流す谷の奥
【猿蓑俳句鑑賞。国立国会図書館デジタルコレクションより】 |
インターネットの「国立国会図書館デジタルコレクション」で「猿蓑(さるみの)俳句鑑賞(著:伊東月草 古今書院 昭和十五年出版)」を見ていたら服部土芳の句に出会った。
梅が香や砂利(じゃり)しき流す谷の奥
服部土芳
インターネットで調べると、服部土芳(はっとり とほう)は、松尾芭蕉と同郷で伊賀上野の俳人。
芭蕉の後輩にあたり、伊賀蕉門の中心人物として活躍したという。
土芳は、有名な俳論書である「三冊子(さんぞうし)」を著したことでも知られている。
「三冊子」は、芭蕉の俳論を伝える貴重な資料となっている。
句の前書きに「庭興」とある。
「庭興」とは、庭の味わいとか、庭の面白みとかの意味であろう。
「砂利しき流す谷」とあるので、「枯山水」という様式の日本庭園を詠ったものと思われる。
白い玉砂利を敷き詰め、その中に灰色などの色をもった石をポツポツと配置する。
そんな水の流れを模した小さな谷が思い浮かぶ。
砂利を敷いて川の流れを表現した谷の奥から、梅の香りが漂っているというイメージである。
春の日の静寂な一角を切り取ったような句である。
掲句は、蕉門の句集である「猿蓑」の、「巻之四 春」に収められている。
「巻之四 春」は、十五句目まで梅を題材にとった句が続く。
土芳の句は、その四番目。
四番目に、爽やかな梅の風がそよいだという印象の句である。
伊東月草は、掲句を評して「現在の私達の俳句観からいふと、いかにもお誂へ向に過ぎる境致で、大して迫力を感じないが、」と述べている。
ここで使われている「境致」とは、禅宗における伽藍や庭園の作庭法のことと思われる。
「俳句観がお誂え向きの境致」という文脈から考えると、この「境致」は「境地」の誤植ではないかと私は思っている。
「俳句観がお誂え向き」とは、日本庭園の風流・風雅を重んじるということが、当時の俳諧師の心情としてあったということなのだろう。
しかし私は、梅の香りと無機質な砂利の谷を設定し、その奥を感じる心は、日本庭園の風流・風雅を重んじる心情だけではないような気がしている。
この句には、様々な対比が感じられる。
梅と石。
季節の動きと、静止した築庭。
春の躍動感と、過ぎた冬の寂寞感。
華やかな雰囲気と、無表情。
生と死。
梅と石から様々なイメージが湧くので、「枯山水」の庭にイメージの広がりが感じられて面白い。
石が冷たく支配していた冬の庭に、春のぬくもりが流れ込むという時間の流れも感じられる。
掲句の「谷の奥」からは、様々なイメージが流れているように感じられるのだ。
そんな様子を土芳は、「梅が香や砂利しき流す谷の奥」とさり気なく句に詠んでいる。
この「さりげなさ」が伊東月草のいう「大して迫力を感じない」につながるのだろう。
土芳の伊賀上野の庵である「蓑虫庵(みのむしあん)」に作った庭なのだろうか。
草庵を作り、庭を作り、庭の句を作り。
土芳は、伊賀上野の藤堂藩士を若くして退き「蓑虫庵」に隠棲してからは、俳諧一途の生涯であったという。
なお「蓑虫庵」という草庵の名は、芭蕉の「蓑虫の音を聞きに来よ草の庵」という句にちなんでいるとのこと。
芭蕉の後輩にあたり、伊賀蕉門の中心人物として活躍したという。
土芳は、有名な俳論書である「三冊子(さんぞうし)」を著したことでも知られている。
「三冊子」は、芭蕉の俳論を伝える貴重な資料となっている。
句の前書きに「庭興」とある。
「庭興」とは、庭の味わいとか、庭の面白みとかの意味であろう。
「砂利しき流す谷」とあるので、「枯山水」という様式の日本庭園を詠ったものと思われる。
白い玉砂利を敷き詰め、その中に灰色などの色をもった石をポツポツと配置する。
そんな水の流れを模した小さな谷が思い浮かぶ。
砂利を敷いて川の流れを表現した谷の奥から、梅の香りが漂っているというイメージである。
春の日の静寂な一角を切り取ったような句である。
掲句は、蕉門の句集である「猿蓑」の、「巻之四 春」に収められている。
「巻之四 春」は、十五句目まで梅を題材にとった句が続く。
土芳の句は、その四番目。
四番目に、爽やかな梅の風がそよいだという印象の句である。
伊東月草は、掲句を評して「現在の私達の俳句観からいふと、いかにもお誂へ向に過ぎる境致で、大して迫力を感じないが、」と述べている。
ここで使われている「境致」とは、禅宗における伽藍や庭園の作庭法のことと思われる。
「俳句観がお誂え向きの境致」という文脈から考えると、この「境致」は「境地」の誤植ではないかと私は思っている。
「俳句観がお誂え向き」とは、日本庭園の風流・風雅を重んじるということが、当時の俳諧師の心情としてあったということなのだろう。
しかし私は、梅の香りと無機質な砂利の谷を設定し、その奥を感じる心は、日本庭園の風流・風雅を重んじる心情だけではないような気がしている。
この句には、様々な対比が感じられる。
梅と石。
季節の動きと、静止した築庭。
春の躍動感と、過ぎた冬の寂寞感。
生命の活動と、生命の活動がない物質。
ぬくもりと、血の通っていない冷たさ。華やかな雰囲気と、無表情。
生と死。
梅と石から様々なイメージが湧くので、「枯山水」の庭にイメージの広がりが感じられて面白い。
石が冷たく支配していた冬の庭に、春のぬくもりが流れ込むという時間の流れも感じられる。
掲句の「谷の奥」からは、様々なイメージが流れているように感じられるのだ。
そんな様子を土芳は、「梅が香や砂利しき流す谷の奥」とさり気なく句に詠んでいる。
この「さりげなさ」が伊東月草のいう「大して迫力を感じない」につながるのだろう。
土芳の伊賀上野の庵である「蓑虫庵(みのむしあん)」に作った庭なのだろうか。
草庵を作り、庭を作り、庭の句を作り。
土芳は、伊賀上野の藤堂藩士を若くして退き「蓑虫庵」に隠棲してからは、俳諧一途の生涯であったという。
なお「蓑虫庵」という草庵の名は、芭蕉の「蓑虫の音を聞きに来よ草の庵」という句にちなんでいるとのこと。