老事務員のお金の話
老事務員のイラスト(制作:ブログ運営者)。 |
私は、ある会社で経理業務を担当している事務員です。
経理の仕事は、簡単に言えば、会社のお金の流れを記録することです。
現金や預金の管理とか、売上の入金確認とか、経費管理などが私の日々の業務でございます。
ご覧のように私の外見は老人ですが、中身は違います。現金や預金の管理とか、売上の入金確認とか、経費管理などが私の日々の業務でございます。
自分で言うのもなんですが、そんじょそこらの老いぼれではありません。
頭は、かなりしっかりしています。
計算を違えたことは、ありません。
会社上層部からの信任も厚いです。
頭は、かなりしっかりしています。
計算を違えたことは、ありません。
会社上層部からの信任も厚いです。
この道50年、コツコツと帳簿をつけながら、お金の動きを見さしてもらっています。
この仕事から得たことは、お金は生き物であるということです。
そして、生き物だと気がついたときから、お金は生き物としての振る舞いを私に見せつけるようになったのです。
人はお金を手にとって、額を数えたり代金を支払ったりします。
それは、人がお金に触っているのですが、同時にお金もまた、人に触っているのです。
それは、人がお金に触っているのですが、同時にお金もまた、人に触っているのです。
お金が人に触って、居心地が良いかどうか、その人を値踏みしているのです。
お金とは、そういう生き物なのです。
お金とは、そういう生き物なのです。
私の長年の経験では、お金は群れで行動します。
一匹狼のお金ってのは、あまりお目にかかったことがございません。
集まってくるときも大群なら、出て行くときも群れをなして出て行きます。
まるで獣の群れみたいなものです。
実際に獣の群れなんか見たことがないのですが、お金の動きを見ていると、見たことのない獣の群れが目に浮かんでくるのでございます。
鋭い牙からヨダレを垂らしながら獲物を狙う獣の群れです。
その群れが、遠くからじっと人間を観察しているのです。
鋭い牙からヨダレを垂らしながら獲物を狙う獣の群れです。
その群れが、遠くからじっと人間を観察しているのです。
奇怪なものです。
夜に事務室で一人ソロバンを弾いていると、ヒソヒソ声が聞こえてくるときがあります。
あれは、お金の群れが何かを相談しあっているのです。
まるで悪童連中が寄り集まって、なにか悪さの相談でもしている風であります。
もちろん、私みたいな平社員は、会社のお金に触れることはできません。
お金は、社長とか会社の経営に携わっている幹部の方達の手に触れています。
手に触れて、彼らを探っているのです。
手に触れて、彼らを探っているのです。
ほら、ああやって、お金が人の体に触れて、探りながらなにやら相談している様子が、万年平社員の私には、よく見えるのでございます。
お金の出入りを「金運」という言葉で説明なさる方がいらっしゃいますが、それは違います。
お金の出入りは、もっと露骨な、生き物としての欲望なのです。
お金が人に触れて人を選ぶというのは、そういうことなのです。
このお金の欲望の妖怪的な存在感は、「金運」などという神々しいイメージではありません。
獣の群れのように、勢力を拡充しながら移動していく実態です。
この怒濤のような動きには「金運」などが入り込む余地はありません。
お金は「運」ではなく、生き物なのですから、生き物としての実態を持っているのです。
人に対して、欲の深い生き物としてつきまとうのがお金なのです。
その実態のひとつですが、お金は速い事が好きです。
速い動きを、嬉々とした表情で、しかも、ものすごい勢いで追いかけます。
そんなお金の動きを、私は何度も目撃しています。
ですから、お金を得ようとお思いでしたら、速く動くことです。
のんびり構えていては、お金を捕まえることはできません。
反対に、お金に喰われてしまいます。
そんなお金の動きを、私は何度も目撃しています。
ですから、お金を得ようとお思いでしたら、速く動くことです。
のんびり構えていては、お金を捕まえることはできません。
反対に、お金に喰われてしまいます。
雑然とした、まとまりのないことを申しました。
これ以上のことは、なにも申せません。
私は、ただの事務員として、この職に就いて50年を生きてまいりました。
高等な教育も受けていません。
マルクスもケインズも、名前は聞いたことがありますが、彼らの経済学のことはまったく知りません。
高等な教育も受けていません。
マルクスもケインズも、名前は聞いたことがありますが、彼らの経済学のことはまったく知りません。
私がお金について抱いている考えは、高等な学問によるものではなくて、私が実感したことなのです。
この目で見たことによるナマの実感でございます。
この目で見たことによるナマの実感でございます。
あ、それから、もうひとつ。
これが、いちばん大事なことかも知れません。
お金という生き物は、「無料(ただ)」を憎みます。
「無料」が大嫌いなのです。
「無料」とは、ただこれだけで他には何も要りませんということです。
「これだけ」とは、「無料」のレッテルを貼られた品々のことです。
それを耳にしたら獣たちは憤ります。
「俺達がいないと生きられないくせに、俺達が不要だってか」と高い丘の上から人間を見下ろしますんです。
ですから、「無料サービス」などというものはいけません。
絶対やっちゃいけません。
それをやると、丘の上から駆け下りてきたお金に突き飛ばされてしまいます。
お金に突き飛ばされて、踏みつけられて、ぺしゃんこにされてしまいます。
くれぐれもご用心くださいませ。
「無料」が大嫌いなのです。
「無料」とは、ただこれだけで他には何も要りませんということです。
「これだけ」とは、「無料」のレッテルを貼られた品々のことです。
それを耳にしたら獣たちは憤ります。
「俺達がいないと生きられないくせに、俺達が不要だってか」と高い丘の上から人間を見下ろしますんです。
ですから、「無料サービス」などというものはいけません。
絶対やっちゃいけません。
それをやると、丘の上から駆け下りてきたお金に突き飛ばされてしまいます。
お金に突き飛ばされて、踏みつけられて、ぺしゃんこにされてしまいます。
くれぐれもご用心くださいませ。